陽の当たる島根へ〜亀の努力
2011年11月11日(金)山陰自動車道事業化へ
今日の時点ではまだ正式決定ではありませんが、すでに地元メディアで報道されているのでご報告致します。
私は今、与党政調会長なので報道より早く様々な情報が入ります。律儀に極秘扱いにしていると新聞に載ったりするので、どのタイミングで地元に知らせるか、正直なところ、なかなか難しいです。
山陰自動車道は本来ならもうとっくに事業化できたはずの道路です。ところが県を東西に結ぶより先に松江−尾道線の方が進んでしまったというのが島根県の現実です。今更言うまでもなく、県内の東西格差は深刻です。山陰自動車道の開通と東西格差の解消は私の選挙公約であり、議員になった4年前から全力で取り組んできました。
三隅−益田間については、当選当初、まだ都市計画決定もされていない状況で、つまり国会議員が国に予算要求をできる段階までいっていなかったのです。県と国土交通省が用地を選定し、ルートを決め、環境アセスメントを終わらせて初めて都市計画決定に至るわけで、道理でいつまで経っても山陰道ができないわけだと納得しました。早く都市計画決定するよう国交省を急かし、最短でも2010年秋と言われたので、それまでは私も我慢して待っていました。予定通り、昨年10月に都市計画決定されましたが、予算というのは夏に概算要求をするので、昨年の予算編成にはもう間に合いません。そういうわけで今年は気合を入れて夏から動き、県庁でヒアリングしたり要望活動をしたり、全力で予算を取りにいきました。
松原仁国土交通副大臣が私の選挙の時、大田市に応援に入っていたこと、津島恭一国土交通政務官が元国民新党であったことは陳情する上で心強かったです。また県としても、松江尾道線の完成後、道路事業が激減する事態は避けたかったのです。そういう意味で、松江尾道線から山陰道の整備に移行する道筋が描けたことは大きな成果です。参議院の任期は6年あるので、何とか任期内に道筋だけでも示したいと思っていました。湖陵−多岐、大田−静間、三隅−益田、の3区間が同時に事業化されること、先に都市計画決定済みの2区間に加えて三隅−益田間が間に合ったことは私の努力が実ったわけで、素直に嬉しいです。
2011年10月31日(月)益田市を島根県の防災拠点とするための陳情署名
島根県庁を訪問し、溝口善兵衛知事に「益田市を島根県の防災拠点とするための陳情書」を提出しました。これは今年の春、ふと頭に浮かんだ私の構想です。福島の原発事故の状況を島根県に当てはめた場合、半径30キロ圏内というのはどこまで入るのかと地図を眺めながら縮尺で測り、これは大変、と思いました。他県は人口の比較的少ない所に原発がありますが、島根県は原発から県庁までわずか9キロ、30キロ取れば出雲空港も米子空港も境港も圏内に入ってしまいます。つまり空港も港も使えなくなる…ということは、県西部の萩・石見空港と浜田港が代替施設になると考えました。東日本大震災では米軍の協力も得て仙台空港を震災1ヶ月で復旧させたわけで、やはり空路は大事です。島根県の東西格差解消にもつながり、これは県西部の声として知事に訴えようと思いました。島根県のことは県が決めるわけで国会議員の私に権限はないので、署名活動をしたのです。
萩・石見空港と浜田港と一体的に考えれば、益田〜浜田間の山陰自動車道を整備する必要性も高まるわけで、新たな視点や論理は中央省庁に対しても有効だと思います。県に認識を共有してもらい、国に働きかけたいと思って行動しました。
最終的に、島根県西部を中心に、10,920人の方に署名をいただきました。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。陳情署名の内容はこちらをご覧ください。
2011年10月28日(金)山陰自動車道の早期整備を国土交通省に要望
10月28日(金)、ゆうひライン女性の会(浜田−益田間)、山陰道(温泉津−江津間)の早期整備を促進する女性の会、山陰道(出雲−江津間)早期実現推進協議会女性会の皆様と一緒に津島恭一国土交通政務官を訪ね、申し入れを行いました。伝統的な省庁への要望は県や市町村単位なのですが、女性の会の皆様は行政とは別に、そこに住む市民の声を政務三役に届けたいとのことだったので、女性達の要望という形にして私も同行しました。
道路に関する要望は建設業者との癒着、道路利権のイメージが強すぎるので、そういう利権とは関係のない女性達が純粋に「不便なので何とかしてください。」と訴えました。同時に私は自分で用意した要望書も用意しました。なぜミッシングリンクの解消が必要か、なぜ山陰道なのか、という理論を正面から主張する必要があったのです。
津島政務官は元国民新党なので話しやすく、丁寧に対応していただきました。行動する女性達は物事を前に進める力があると私は思います。