(海外の活動報告) | 2009年3月26日(木) |

2009年3月26日(木)ツバルのその後1
 昨年8月に訪問したツバルの視察報告をこのホームページに掲載しましたが、現地で働く数少ない日本人からメールをいただきました。

 まず飛ばないエアフィジーの話ですが、「なんとなく撤退」したそうで、その為に往路は22名しか乗れないエアパシフィック(私達が乗った)は「慢性のフルブッキング状態」だそうです。もはや計画的な外国人のツバル入国は不可能ではないかと危ぶまれるとのこと。ただし復路は燃料が半分になり、機体が軽いので42名まで乗れるそうです。よって出国はいつでも可能なので、みんな安心しているそうです。

 私達が訪問した当時、落雷の影響で「国際電話の発信はできない。」「インターネットも断続的に切れる。」という状態でしたが、それもそのままとのこと。

2009年3月26日(木)ツバルのその後2
 現地では個性的でたくましい日本人数人とお会いしました。大日本土木株式会社フナフチ港作業所の駐在員の方々、NGOツバル・オーバービューのただ1人の現地スタッフ、ツバル政府のアドバイザーを務める「天下太平洋物語」の著者−おがわかずよしさん等、南の孤島でご活躍です。日本からのエールを込めて写真を掲載致します。

 8月23日より30日まで、参議院ODA調査団の一員として、フィジーとツバルを訪問しました。私達は地球温暖化による海面上昇によって水没の危機にあると伝えられるツバルに関心があったので、ツバルへの中継地点であるフィジーを含めた2ヶ国の視察計画を立てました。(南太平洋諸国の中心はフィジーであり、国際機関や各国の大使館もフィジーの首都、スバに集まっています。日本外交も在フィジー大使がツバル大使を兼任しています。)

 開発途上国にトラブルは付きものですが、到着早々、本当に笑ってしまうような出来事が続き、何事もスムーズに運ばないことが当たり前という環境を私は楽しむことにしました。

 まずはフィジーのナンディ国際空港に到着後、乗り継ぎ便のエアー・フィジーが飛びません。天気は晴れ。飛ばない理由は燃料高で燃料が買えなかったからとのことで、急遽バスで3時間以上かけてスバへ。ようやくホテルにチェックイン後、今度は大雨になり外出は断念。休憩後、視察のブリーフィングを兼ねて日本大使公邸で夕食会がありました。

 23日夜に日本を出発して早朝に到着し、ここまで徹夜に近かったので、ブリーフィングは睡魔との戦いでした。

8月25日(月)
小児病棟
 午前中は日本の無償資金協力で建てられた、植民地戦争記念病院小児病棟(写真)と新医薬品供給センターを視察。午後は南太平洋大学を訪問し、情報通信技術センター建設予定地と海洋研究施設を視察した後、青年海外協力隊員が柔道を教えている道場を見学しました。小児病棟は南太平洋諸国で最大規模の施設であり、フル稼働している様子でした。院長の女性は日本で8週間の研修を受け、病院の設計当時から関わっていた方です。人口の40%が15才以下であること、下痢・栄養失調・肺炎・髄膜炎が主な子供の病気であること、医療スタッフの海外流出が課題であること等を説明していただきました。

 新医薬品供給センターは太平洋予防接種事業強化プロジェクトとしてワクチンを提供しており、日本から派遣された専門家から説明を受けた後、ワクチンの貯蔵庫などを見学しました。

情報通信センター柔道
 南太平洋大学はこの地域の高等教育の中心地で太平洋諸島フォーラム加盟国の学生が通っています。68%がフィジーの学生であり、通信教育も行っているそうです。多数の島々から構成される地域において、情報通信センター(写真)の担う役割は大きいと思います。海洋研究施設ではJICAのシニアボランティアの活動を見学しました。エビの養殖技術やかまぼこ等の練り製品の作り方を指導していました。柔道場ではJICAの青年ボランティアの稽古風景を見学(写真)しました。この道場からフィジーの柔道選手としてただ一人(女性)北京オリンピックに参加しているそうで、同僚は誇らしそうでした。

再会した友人
 この日の夜はODA関係者との懇談会があったのですが、フィジー政府を代表して挨拶したのは内閣府主催の国際交流事業「世界青年の船」で一緒に旅した仲間(写真)でした。思わぬ再会に世界は狭いと思いつつ、国際交流をしていてよかったと思いました。

8月26日(火)
 いよいよツバルへ。エアー・フィジーの運行状況があまりにも悪いので、前週からサービスを開始したエアー・パシフィックのプロペラ機で2時間強の飛行後、ツバルの首都フォンガファレ島のフナフチに到着。必ず一周旋回してから着陸するのですが、これは滑走路に人がいないか確認する為だそうです。到着前から聞かされてはいましたが、フィジー・ツバル間は3日に1度しか定期便がないので、普段は滑走路に人が寝転がっているそうです。特に夜はアスファルトがひんやりとして寝心地がいいのだとか…。それが可能ということは、つまり飛行場と周囲を隔てるフェンスもなく、ただの舗装道路のような滑走路です。そしてフナフチの町は全てこの滑走路を中心に造られています。

国会議事堂
 到着直後に大雨になり、空港待合室に退避。私達は「恵みの雨」をもたらしたと歓迎されました。待合室の隣に見える建物が国会議事堂(写真)だと言われて愕然…。全くこの国にはいちいち驚かされます。要するに国会議事堂は究極の「集会所」であり、その中に入ったら喧嘩は止めなければならない、という神聖な場所なのだそうです。国会議員の数は15人で、各島の代表で構成されています。

ホテル
 まずはホテル(写真)にチェックイン。お湯は出ないこと、石けんも古いので全て持参した方がよいこと等を聞かされていましたが、とりあえず鍵はかかり、想像の範囲内でした。ここしかホテルはないそうです。窓からは美しい海が見えます。

ツバル総督表敬訪問フナフチ・カウプレ(村落共同体)との懇談
 この日はツバル総督表敬訪問(写真)、フナフチ・カウプレ(村落共同体)との懇談(写真)、離島間の連絡船見学(日本の無償資金で供与)、ゴミ処分場、ヌイ集会所を視察しました。総督の表敬訪問を終えて参加したカウプレは、ツバルの伝統に触れるいい機会でした。一言で言うなら村の長老との会議であり、現職の国会議員より力がありそうな人達で、中にはツバルの初代総督も含まれていました。懇談会ではツバルが沈みつつあることが強調され、環礁の外側に堤防を造ってほしい、土地のかさ上げ工事をしてほしい等の要望が出されました。

 私達調査団は地球温暖化とツバルの環境問題について事前に文献を読み、準備して訪問しました。そしてメディアで報道される「温暖化による海面上昇で沈みゆく国」というイメージと実態とは、かなり異なっているようだと認識していました。大阪学院大学の小林泉教授は、
1.イギリスがツバルを植民地にした1892年当時、フォンガファレ島は大半がマングローブ林で覆われた湿地だった。
2.太平洋戦争当時、フォンガファレ島に上陸したアメリカ軍はブルドーザーで土砂を採掘して滑走路を建設し、採掘穴(ボローピットと呼ばれる)からは昔から水が沸き出していた。
3.人口増で居住に適さない湿地にまで家が建てられるようになった。
4.2002年の「ヨハネスブルグ地球サミット」でツバルは「環境難民」の認定を国連に求める為、水没問題を強調して世界のメディアが注目するようになった。
5.温暖化と島の浸水被害との因果関係は科学的に立証できず、難民認定も認められなかった。
と指摘しています。現地に滞在する日本人も、年に1度の大潮の時のみ世界中のメディアが大挙して押しかけると言います。私達はカウプレを初めてとして滞在中、本当に水没しているのかどうか質問を重ねましたが、納得できる説明は遂に得られませんでした。

ゴミ(ツバル)
 ツバルが抱える深刻な問題は、実は環境汚染なのです。急激な人口増に伴うゴミ問題と土壌に染み込ませる屎尿処理、飼育豚から出る糞尿排水による地下水の汚染等は日本ではほとんど知られていません。カウプレ後に視察した島の北端のゴミ処分場には深さ3〜4mのボローピットに2kmに渡って未処理のゴミが投棄(写真)されており、衝撃的な光景でした。

ヌイ集会所
 この日はヌイ集会所(写真の世界的に有名になった大潮時に浸水する集会所)、日本政府が提供した離島間連絡船を見学し、ホテルに戻りました。

8月27日(水)
 午前中は台湾の試験農場、オーストラリアが失敗して放置した豚廃棄物管理プロジェクトの跡、日本政府のODA事業である太陽光発電所(無償資金協力)、給水施設(草の根・人間の安全無償協力)、プリンセス・マーガレット病院(無償資金協力)を見学しました。

 ツバルは珊瑚礁でできた島であり、農業に適する土がありません。土壌は軽石のような珊瑚の死骸なのです。そこに台湾は多額の費用をかけて土まで運び込み、47種類もの作物の試験栽培を行っています。ここから栽培に適した16種類の作物を絞り込み、家庭菜園を奨励しているのだそうです。南太平洋の島々は中国と台湾が外交相手の数を競っている地域であり、台湾と外交関係を結ぶツバルのフォンガファレ島には、唯一台湾だけが大使館を置いています。

発電所太陽光パネル
 オーストラリアの豚廃棄物管理プロジェクトは日本の紐付き援助と似たような事業で、政府と契約した業者が建物だけ建て、指導もしないで引き揚げてしまったのだそうです。太陽光発電所(写真)は日本人職員の指導の下で順調に稼働しており、ツバルの電力事情はフィジーよりもよくなったと感謝されました。今年になってから停電は一度もないと言います。

給水施設
 給水施設(写真)は海水を淡水化するもので、コストがかかるので非常時の飲料水として使用されています。ツバルは地下水の塩分濃度が高いのと環境汚染の為、雨水に頼るしかありません。各家庭の貯水タンクはオーストラリアの援助で供与されています。乾期には給水施設に水泥棒が入るそうで、施設は厳重に守られていました。

ジャンクフード
 プリンセス・マーガレット病院もフィジーで視察した病院同様に十分活用されていました。この国に来て気が付いたことですが、高齢者と若者がまるで別の人種でもあるかのように、全く大きさや体型が違うのです。カウプレで会った長老は皆、小柄でスリムなのに、若い世代は大柄の肥満体型で、病院を案内してくれた医師も例外ではありません。後に質問したら、ツバルでは感染症や結核が主な病気だったが、ここ10年から20年で心臓麻痺や糖尿病に変わったと言います。つまりツバルの抱える深刻な問題は、食料問題であり、ゴミ問題であり、環境汚染なのだとここまでの視察でだいぶわかってきました。自給自足の鎖国状態だった国が英国領になり、西欧の食料が入ってきたことで若者世代の食生活が変わってしまいました。その食料とは缶詰やらポテトチップスやらチョコレート、生野菜はほとんど入らず、農業をする土壌もありません。従来の島の食べ物は唯一栽培可能なタロイモと魚とココヤシの実。ゴミは投げ捨てても自然に還るものばかりだったのに、缶やプラスチックはそうはいきません。それでも投げ捨てる人がいて、集積しても処分する方法がありません。人口増に伴って飼育している豚の数も急増。環境の劣化は地下水を更に汚染し、雨水に頼るしかないのです。自由時間に私は村の生協の棚を見に行きましたが、オーストラリア産のジャンクフードが所狭しと並び(写真)、これでは太るわけだと納得しました。野菜と言えばジャガイモと冷蔵庫に干からびたニンジンが大切そうにしまわれていました。

 午後は船に乗り、環礁内の離島に行きました。まずはアマツク船員学校という島ごと一つの施設になっているプロジェクトを見学。ツバルには職がないので、国をあげて船員を養成し、海外就職を斡旋する計画です。けれども海外との移動手段が不便なのでフィリピン等に負けてしまい、なかなかうまくいっていないようです。

無人島椰子の木島の逆側有孔虫の死骸
 更に船を進めて無人島(写真上左)に上陸。ここは海岸浸食の様子を撮りにメディアが殺到する場所ですが、同行した日本のNGO職員によると、島の片側は確かに海岸浸食で椰子の木が倒れているけれど(写真上中)、その逆側は土地が拡大(写真上右)しているのだそうです。つまり海流の変化等が原因で島の形が変わっているだけで、温暖化で水没しているとは言えないとのこと。この島もやはり珊瑚礁ですが、ここで大事なのが有孔虫の存在です。有孔虫とは石灰質の殻を持った体長1、2mm以下の原生生物で、1年で数百に分裂し、ツバルの島々は有孔虫の死骸(写真下)からできています。日本の「星の砂」も有孔虫です。そして有孔虫が生息可能な環境なら海岸浸食されても復元できるわけで、フォンガファレ島の問題は環境汚染で有孔虫が減っていることなのです。上陸した無人島は本当に海水も浜もきれいで、有孔虫も生息しています。私達は島の両側の様子を船でしっかりと視察しました。

連絡線
 フォンガファレ島の桟橋に戻った時、ちょうど連絡船マヌフォラウ(写真の連絡船で「旅する鳥」という意味)に人々が乗り込んでいるところでした。日本が寄贈したこの船は既に乗客でいっぱいでした。フォンガファレ島に戻ってからは、日本の無償資金協力によるフナフチ港改善工事を見学しました。日本企業の社員数人が長期滞在しており、彼らの技術指導の下でツバル人が工事に携わっています。港の鉄筋はサビがひどくてかなり浸食されており、補強工事と桟橋の建設が進められていました。

 この日の夜は私達調査団がホテルで夕食会を主催し、お世話になったツバル政府関係者や日本の受け入れ関係の方々を招待しました。

8月28日(木)
消防車飛行機
 本来ツバルには3泊する予定でしたが、エアー・フィジーが飛ぶ補償はないので、この日運行予定のエアー・パシフィックに変更し、ツバルを2泊で切り上げて出発です。午前中は財務次官、運輸大臣を表敬訪問し、日本のODA事業で建てられたツバル女性ハンディクラフトセンターと寄贈された消防車(写真)を見学して空港に向かいます。役所(台湾が建設)もハンディクラフトセンターも空港も全てがホテルから徒歩圏内です。そして消防車は消火活動より頻繁に空港で大活躍している為、空港に配備されています。なんとこの消防車は飛行機の着陸寸前に滑走路を見回り、人や障害物を排除する役割を果たしているのです。サイレンが鳴って消防車が走り出したらその日は無事に飛行機が到着する合図、その後ようやく機体が現れ、着陸するかと思えばしっかり旋回してどこかに見えなくなってから戻ってきて着陸(写真)しました。

ツバル首相
 この便には欠航続きで帰国が延びていたツバル首相が乗っており、空港脇の国会議事堂で最後の表敬訪問(写真)が行われました。ツバル首相はニュージーランドとニウエで開催されていた太平洋諸島フォーラムから帰国したところです。

上空から見たツバル
 最後の要人訪問を終えて私達は無事、到着した機体に乗り(写真は上空から見たツバル全体)、フィジーに向かいました。

 フィジーではスバ空港で乗り換えてナンディ国際空港へ向かい、ホテルにチェックイン。お湯が出る海辺のホテルはツバルとは別世界でした。

8月29日(金)
入村儀式
 午前中はオイスカ(日本のNGO)のマングローブ植林プロジェクトとクラ・エコパークを視察、午後は日本の無償資金協力で建てられた気象観測所を訪問し、その後フィジーの村で伝統的な入村儀式(写真)を体験しました。

マングローブ植林
 オイスカのプロジェクトでは年配の日本人男性が長期滞在して植林を指導しており、私達も一緒にマングローブを植えました。フィジーでもゴミを投げ捨てる習慣があり、よく見るとビニール袋などがマングローブに引っかかっています。これは苗をダメにしてしまうので地元の人々でゴミ拾いを行い、地道な活動を続けています。海岸線に道路が建設される過程でマングローブ林が破壊されてしまったので、魚が生息する環境を復元しているのだそうです。

 エコ・パークではフィジーに生息する様々な動植物を見ることができました。ここは欧米の資産家が保有しています。

 気象観測所は国際空港脇にあり、航空機運航の為の気象情報を提供していました。この日は一番余裕のあるスケジュールで、ようやくお土産を買ったりする時間も取ることができました。

8月30日(土)
 とうとう帰国の途へ。けれどもやはり最後までスムーズに事が運びません。ナンディ国際空港に着くと、チェックイン機の故障とやらで搭乗手続きができません。待合い室で延々と待たされ、搭乗券がないので免税品も購入できずにウィンドウショッピングをしていました。やがてシステム復旧は諦めたようで手動のチェックインに変わり、手書きの搭乗券で無事手続きを済ませてエアー・パシフィック機に乗り込みました。

 全体的な感想ですが「百聞は一見にしかず。」ツバルについては行ってみなければわからなかったことだらけで、大変有意義な調査でした。ODAについては従来から紐付き援助だとか賄賂だとか悪い話も報道されていますが、今回視察したフィジーとツバルについては納得できる人道的支援が行われており、相手国にも感謝されていることがわかりました。ツバルについては「水没国家」のイメージに惑わされずに民生部門の支援を行うこと、フィジーについてはクーデターによる軍事政権下にあるけれども、制裁せずに人道的援助は続けるべきであり、その姿勢が相手国に感謝されていることも実感できました。ちなみに軍事政権下といっても町中で軍を見かけることはなく、一見して市民は普通に生活していました。フィジーは議員になる前にも2回行っているので想像の範囲内でしたが、今回の調査はとても勉強になりました。