3月15日(水)に渡米し、2年ぶりに国連女性の地位委員会(Commission on the Status of Women)を視察しました。今年で61回目になるCSWは3月13日(月)〜24日(金)まで開催されました。前回は開会式から閉会式まで見届けたのですが(海外の活動報告参照)、今回は日本のサイドイベント(講演または会議)を中心に視察し、短い滞在になりました。本当は14日(火)に出発予定だったのです。ところがこの日はブリザードがニューヨークを直撃した為、空港が閉鎖。予定便もキャンセルになって1日遅れの出発でした。先に現地入りしていた会議参加者の話では、いわゆる緊急事態の発令で公共交通機関も動かず、国連ビルも閉鎖。不要不急の外出は控えるようにとのことで、皆、食糧を買い込んでホテルに缶詰めになっていたそうです。

2017年3月16日(木)トランプタワーの入口2017年3月16日(木)トランプタワーの入口は除雪作業の真っ最中
 というわけで1日遅れの15日(水)に無事到着。翌朝、トランプタワーに行くと写真の通り、除雪作業の真っ最中で5番街とは思えない光景でした。すっかり観光名所と化したタワー前では記念写真を撮る人が後を絶たず、中に入ると以前はなかった荷物検査のセキュリティが2ヶ所。銃を持った警察官も巡回していて、外から見るより中の警備は厳重です。

 今回のニューヨーク訪問は、トランプ大統領のアメリカを肌で感じるという目的もあったので、トランプタワーには真っ先に行ってみたのです。またこの時期はちょうどトランプ大統領就任から100日が過ぎた頃だったので、メディアが厳しく評価を報じていました。移民の入国制限について、大統領令と司法が真っ向から勝負している様子もリアルに伝わってきました。またアメリカに行ってみて、トランプ氏の大統領選勝利というのは、彼の人気が高いというよりヒラリー氏の人気がなかったということなのだと感じました。

2017年3月16日(木)国連前で雪遊びをする子供達2017年3月16日(木)CSWの看板前にて。2017年3月16日(木)主催者挨拶する別所浩郎国連大使
 さて国連ビルに移動すると、やはり雪山が残っていて子供が遊んでいます。この日は日本政府のサイドイベントがありました。テーマは「災害と女性のレジリエンス」(レジリエンス=元に戻ること)。別所浩郎国連大使が主催者挨拶をし、日本からは田中和徳衆議院議員と山中子世界津波の日特別大使(そんな肩書があるんですね)が駆け付けていました。

2017年3月17日(金)日本のサイドイベント「女性の経済的自立」の会議風景
 翌17日(金)は日本のNPO主催のサイドイベントがあり、こちらのテーマは「女性の経済的自立」。CSWのサイドイベントは政府・国際機関によるものとNPO主催のものと2種類あり、日本も開催期間中に各1回ずつ行います。今回はちょうど16,17日と続いていたので効率よく参加することができました。両イベントとも席が足りなくなるくらい盛況でした。

 CSWは毎年、大会のスローガンがあり、今年は゛Be Bold for Change”(大胆に変化せよ)。なかなか勇ましい掛け声です。

2017年3月17日(金)セント・パトリック協会前にて。2017年3月17日(金)トランプタワー前を通過するパレード
 17日(金)はセント・パトリック・デーだったので、午後からの会議前に5番街のパレードも観に行きました。除雪作業のおかげであの雪山がすっかりなくなり、よく1日でここまできれいにしたものだと、これはアメリカ人に感心しました。雪なんて降らなかったかのように何事もなくパレードは盛大に行われました。この日はまさに晴天。絶好のパレード日和でした。

 2015年3月9日(月)〜21日(金)までの丸2週間、ニューヨーク国連本部にて開催された第59回国連婦人の地位委員会(UN Commission on the Status of Women)に初めて参加しました。私は女性運動というものにほとんどご縁がなかったのですが、去年、女性議員を増やそうと活動している知人からスピーカーとして日本の団体に推薦していいかと言われ、初めてCSW総会なるものを知りました。毎年3月頃に2週間、国連本部で開かれる総会であらゆる分野の女性問題について議論され宣言文が採択されます。(もちろん採択に至らない時もあります。)日本の場合は伝統的に政府と民間の共同体で参加しているようです。わかりやすく言うと、女性問題に詳しい学者等民間人を政府代表として選び、外務省や内閣府の担当者が代表をサポートするという体制です。国会議員は3月という予算審議の時期で渡航するのが難しいので、政府三役の誰かがとんぼ返りするような日程で対応しています。今回は宇都隆史外務大臣政務官が2日間ほど滞在したようです。

 CSW59は“北京+20”、つまり北京女性会議から20年目にあたる節目の大会だったので例年より規模が大きく、内閣府ホームページ(http://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_csw/chii59-g.html)によると期間中の参加者は8,600人だったそうです。私は今回、トルコの団体から声をかけていただきました。去年の話は他の方に決まり、それっきり忘れていたところ、国際交流でお付き合いしている「さくらーれ日本トルコ女性交流会」からスピーカーのお話をいただきました。2年続けてCSWの名前を聞いたので何かご縁があるのだろうと思って行くことにしました。

2015年3月8日(日)アポロシアターの看板2015年3月8日(日)NGO CSW FORUM開幕2015年3月8日(日)ゲストスピーカーはメアリー・マッカリース前アイルランド大統領
 2週間以上の滞在ですから色々な経験をしました。まず3月8日(日)にアポロシアターで開催されたNGO CSW FORUMというオリエンテーションに参加しました。アポロシアターはハーレムにあるのでどうしてそんなところで開催するのかと思いましたが、昔よりだいぶ治安がよくなったのですね。日中なら普通に地下鉄で行って大丈夫でした。会場では“I am 20”と書かれたうちわが配られ、この日は“International Women’s Day”(国際女性デー)なので会議終了後、全員で行進に途中参加するのだということ。タイムズスクエアに移動して国連から行進してきた行列に合流し、最後数ブロックを一緒に歩きました。ゴール地点のタイムズスクエアで主催者やゲストのスピーチを聞きながら、いかにもニューヨーク的というか、国際女性デーというイベントの大きさに驚きました。

2015年3月8日(日)「国際女性デー」で行進する人々。男性もいます!2015年3月8日(日)タイムズスクエアでの集会は人でいっぱい
 3月8日の国際女性デーは近年各国で認知度が高くなってきたので、もともとCSWはこの日を含めて2月下旬から開催されていたところ、政治家が自国のイベントに参加する為、開催時期をずらす傾向にあるそうです。それに比べると日本はなぜ国際女性デーの認知度が低いのかと思ったら、聞くところによるとイベントの主催団体が共産党系の為、拡がりを欠いているのだそうです。女性運動=左翼というイメージが日本で定着しているのはこういうところに原因があるのでしょう。国連では女性の社会参加を推進することだけでなく、それ以前、つまり教育の権利や児童売春の問題等、宗教や貧困に根差したあらゆる問題に取り組んでいます。

2015年3月9日(月)潘基文(パン・ギムン)事務総長の挨拶2015年3月9日(月)国連日本代表部主催のサイドイベント
 3月9日(月)、国連総会議場に各国政府代表団が集まり、潘基文(パン・ギムン)事務総長出席の下、第59回CSWが開会しました。これから2週間、国連内の会議室や周辺会場にて政府間交渉と並行して数多くのサイドイベント(政府主催)、パラレルイベント(NGO主催)が開催されます。

 開会式終了後、午後一番で行われた国連日本代表部とUN Women(国際女性の地位協会)共催のサイドイベント「女性差別撤廃条約とジェンダーに基づく暴力:北京会議後20年の成果と課題」に直行。その他、日本のサイドイベントとしては13日(金)に国連日本代表部と日本のNGO共催で「高齢社会におけるジェンダー平等:日本高齢女性の活躍と課題」、16日(月)に国連日本代表部とUN Women共催でフジコ・ヘミングのピアノコンサートが開催されました。また3月12日(木)と19日(木)には国連日本代表部にてNGOに対する政府間交渉のブリーフィングが行われました。日本は政府代表自体が政府と民間の共同体ですから、政府とNGOの関係も良好で交渉の状況等がきちんと説明されています。トルコの方は政府とNGOの連携が全く取れていなくて、今回、日本は組織された国だと改めて感心しました。

 国連総会議場では3月10日(火)から各国政府代表のスピーチが始まり、アメリカからはヒラリー・クリントン女史が登場。彼女は北京女性会議でもスピーチをしており“北京+20”の今年もスピーチをしたのでした。ちょうどこの時期、ヒラリー氏が次期大統領選にいつ出馬するのかという噂でニューヨークは持ちきりで、「ヒラリー・クリントンがニューヨークの物件を視察した。(選挙事務所か?)」というようなニュースが流れていました。ニューヨーク州が選挙区で、アメリカ初の女性大統領への期待が高まる時期にCSWに登場するあたりはさすが戦略的です。(4月12日(日)、ヒラリー・クリントン氏は正式に出馬表明しました。)

2015年3月12日(木)NGO主催のイベントにて発表
 私にとってのメインイベント、Peace Islands Institute主催の“Micro-Finance and Vocational Training for Empowerment of Women”は11日(水)午後に開催されました。実は女性と政治というテーマを出していたのに、突然マイクロファイナンスと女性のエンパワメントについて話をしてくれと言われてさあ大変!日本はアジアや太平洋諸国でマイクロファイナンスの実績があるから紹介してほしいというのが依頼の趣旨だったので、結局JICAから資料を取り寄せ、スリランカやネパールの事例について10分程お話しました。スピーカーはトルコの女性(NGO職員)、タイの女性(自然薬品を扱う企業のドクター)と私の3人。NGO、企業、政府とそれぞれ異なるアプローチからの支援内容になりました。なお会場でお会いした経済学者の日本女性は突然、政治関連のNGOセッションに駆り出されたそうで、スピーカーが逆だったらよかったのにとお互い笑ってしまいました。世の中ってうまくいかないというか、そういうものですね…。

2015年3月17日(火)セント・パトリックすでーのパレード。制服組の行進が続きます。2015年3月17日(火)ティファニー本店前にて。華やかですね。
 3月17日(火)はせっかくニューヨークに滞在しているので五番街までSt.Patrick’s Day(セント・パトリックスデー)のパレードを見に行きました。アイルランドの聖人、聖パトリックの命日である3月17日を祝うSt.Patrick’s Dayはニューヨークにおいて盛大な行事です。五番街にある聖パトリック教会ではニューヨーク市長などが出席してミサが行われます。その後パレードが始まり、五番街は何時間も交通規制が敷かれます。消防(人気者!)や警察(不人気!)など公務員のパレードから地元高校生まで市をあげて参加しています。沿道からの反応で人気度がわかったこともアメリカ的でした。

 近年、日本にもセント・パトリックスデーが広がっていて小泉八雲(アイルランド人)が滞在した松江市でもイベントがあるのですが(地元の活動報告参照)、セント・パトリックスデーはやはり3月17日であるべきと今回改めて思いました。パレードを行う為に3月の週末に設定するのはクリスマスを毎年変えるようなもので違和感があります。私の場合はカナダにいた頃、セント・パトリックスデーに馴染んでいたので松江でも懐かしい気がしたのですが、17日じゃないのは妙な感じがしていました。祝うなら3月17日に緑色を身に着けてパブや居酒屋に繰り出せばいいのであって、たまたま土日にあたる年にパレードを行った方が特別なイベントとして演出できるのではないでしょうか。今回ニューヨークでお祭りの原点に返ってそう思いました。

2015年3月18日(水)晴れの日の国連ビルは鏡のように反射してきれい!2015年3月21日(金)CSW最終日。日本から送られた平和の鐘も雪化粧。
 ニューヨーク滞在中、セント・パトリックスデーの頃は好天でしたが、到着日も最終日も雪!特にCSWの最終日は吹雪だったので、滞在中に春らしくなったと感じたのは気のせいでした。天候も含めて色々貴重な体験ができ、充実したニューヨーク滞在、CSW59でした。

1月25日(土)
 国際会議(世界自由民主連盟総会)が前の晩に終了し(海外の活動報告参照)、この日は帰国日。夕方の便だったのでお昼頃、台北市内の建国花市に行きました。目的は松江(大根島)の牡丹を購入して台北の知人にプレゼントすること。ちょうど松江の牡丹が建国花市に出品されているので、この時期だったら台北で購入できると「JAくにびき」の担当者が教えてくれたのです。

2014年1月25日(土)建国花市で挨拶する松浦正敬市長と関係者の皆様2014年1月25日(土)建国花市に出展された大根島牡丹の紹介
 偶然にも私達が訪問した時間帯に式典が始まり、松浦正敬松江市長他、島根からの関係者が会場にずらり勢ぞろい。実はこの日が建国花市の初日だったのです。だけど私達より台北会場で私達親子2人を発見した島根の皆様の方が驚いただろうと思います。壇上で目が丸くなっていました。(もちろん後でご挨拶しました。)

2014年1月25日(土)牡丹のプレゼンテーション
 建国花市への出展はここ数年続いているそうで、松江市もよい活動をしていると思いました。市の説明によると、建国花市に間に合うように台中(台北は牡丹には暑すぎるそうです)で台湾の農家が牡丹を育てて運んできたのだそうです。会場のディスプレイも写真の通り、綺麗でした。ここで無事、牡丹を購入しました。この後、知人に届けてホテルに戻って空港へ直行。台湾最終日も忙しい1日でした。

2014年1月24日(金)台湾総統府にて。
 台北で開催された「世界自由民主連盟」(World League for Freedom and Democracy)中華民国総会に親子で参加しました。台湾と日本の交流に30年以上携わっている父が招待されたイベントに私が同行することになり、結局私も会議にパネリストとして参加しました。(「世界自由民主連盟」の前身は「アジア太平洋自由民主連盟」で、1954年に台湾の蒋介石・元総統、韓国の李承晩・元大統領、フィリピンのエルピディオ・キリノ・元大統領が自由民主の思想を宣伝し、侵略行為と帝国主義を阻止する為に設立されました。東西冷戦の終結を機に組織が改変され、1990年「世界自由民主連盟」という名称になりました。)今年は設立60周年の記念総会だったので台湾政府も関わり、かなり大々的なイベントでした。日程は以下の通りです。(すべての日程に出席しました。)

1月22日(水) 18:00〜      林永楽外務大臣主催歓迎レセプション
1月23日(木)  9:00〜10:30 世界自由民主連盟年次総会
         11:00〜12:30 国会議員フォーラム
         12:30〜14:00 昼食会
         15:00〜17:00 世界自由民主連盟60周年「世界自由
                     デー」記念式典
         18:00〜21:30 台北市長主催夕食会
1月24日(金)  9:00〜11:30 自由民主フォーラム
         12:00〜14:00 新北市長主催昼食会
         18:30〜20:30 王金平・立法院長主催夕食会

2014年1月23日(木)パネリストとして発表2014年1月23日(木)ジョークも交えながら発表しました。
 私がパネリストとして参加したのは23日(木)午前の国会議員フォーラムで、テーマは“Challenges to the Representative Democracy And Next”(代議制民主主義への試練とその将来)という、なかなか重たいテーマでした。会議は英語で行われるので、8分のプレゼンテーション原稿を用意し、代議制民主主義の日本における国民投票制度(直接民主主義)の現状、脱原発を争点に都知事選に参戦した元総理の挑戦を例に、原発や米軍基地問題等の国政課題が地方選挙の争点になる昨今の事情について話しました。

2014年1月23日(木)60周年記念式典で挨拶する台湾副総統2014年1月23日(木)60周年記念式典で歌う子供達
 23日(木)午後の60周年記念式典は、各国代表を招いての盛大な催しで、台湾と正式な外交関係がある国々は政府代表が参加していました。台湾は中国との関係上、国際社会での立ち位置が難しいので、政府が国際NGO(世界自由民主連盟もNGO)の活動を支えることで、各国との関係強化に努めている側面があると思います。日本にとってもNGOルートの外交を強化することは十分参考になると思います。連日のレセプション(食事会)を通じて人脈も拡がり、充実した3日間でした。来年の総会はドイツ(ベルリン)で開催されるそうです。

 ロンドンの大和日英基金にて講演する為、11月23日(水)に日本を出発しました。前月のスリーマイル島原発視察に続き、今回も現地2泊だったので、航空会社の乗務員と同じ滞在時間になってしまいました。最近、行き先がアメリカ東部でも欧州でも2泊というパターンが増えてきて大変です。

 今回は日本の市民活動、いわゆるNPOが講演のテーマになっており、私がNPO議連のメンバーとして改正NPO法や税制改正(市民公益税制の導入)に関わっていたのでご依頼をいただきました。イギリスではキャメロン政権が“Not Big Government but Big Society”(大きな政府ではなく大きな社会を!)をスローガンとして打ち出しており、政府が対応しきれない公の仕事をいかにしてNPOがサポートするか、ということが一大テーマになっているそうです。私は日本の「新しい公共」の考え方と関連付けてお話しました。講演は英語で行い、大和日英基金のホームページも英語ですが、ここにご紹介致します。

大和日英基金ホームページ

 昨年10月、東日本大震災復興特別委員会の重要事項調査派遣議員として、アメリカ合衆国のスリーマイル島原子力発電所を視察しました。全行程は10日(月)から15日(土)までの6日間でしたが、視察自体が出発の1週間前に急遽決定し、私は日本女性会議のパネリストをかなり前から引き受けていたので、現地2泊の途中離脱で帰国しました。中国や韓国ならまだしも、アメリカまで行って2泊で戻るというのは初めての経験で、これはフライトクルーの日程と一緒なのです。つまり行き帰りとも同じ機長やキャビンアテンダントのお世話になったわけで、不思議な感じでした。

2011年10月11日(火)サスケハナ川を横断中
 スリーマイル原発というのは名前だけは有名ですが、アメリカのどこにあるかご存知でしょうか?実は私もよく知らなくて、今回派遣が決まってから地図を広げて調べました。スリーマイル島はアメリカ東部ペンシルバニア州サスケハナ川の中州にあります。首都ワシントンから車で3時間ほど走ったところなので、私達超党派の視察団は成田からワシントンD.C.に飛びました。

10月10日(月)
 移動日。成田空港を出発し、同日ワシントンD.C.到着。ホテルにチェックインし、日本大使館担当者の方々と夕食。

10月11日(火)
 朝8時にホテルを出発し、10時頃スリーマイル島原子力発電所に到着。

2011年10月11日(火)1979年の事故直後に視察に訪れたカーター大統領(当時)の写真2011年10月11日(火)スリーマイル島原発は現在も稼働中
 スリーマイル島原発は1979年、2号機において炉心溶融を伴う事故を起こし、32年経った現在でも2号機(原子炉)は保管状態、つまり近付けない状態にあります。事故後、周到な準備を経て1985年から1990年まで5年間かけて燃料を取り出し、廃炉は現在稼働中の1号機と合わせて2034年に開始するそうです。一度事故が起きると事故処理までいかに長期間要するのか、改めて実感しました。

2011年10月11日(火)2号機の中央制御室と米国側の説明者2011年10月11日(火)スリーマイル島原発を背景にして。
 私達が視察したのは2号機のタービン建屋と事故発生当時のまま保管されている中央制御室であり、これは原子炉から少し離れたところにあります。スリーマイル島原発の経験を福島の事故に活かせるとしたら、いかにして原子炉から燃料を取り出すか、という方法論の部分ではないかと思います。除染についてはスリーマイル島原発の場合、周辺住民が長期間避難するほどの被害に至らなかったので経験もなく、参考にならないと思いました。また2号機というのは完成したばかりの新しい原子炉だったそうで、古い原発は危険性が高く、新しいものほど安全、という私の考えは吹っ飛んでしまいました。結局人災の場合、原子炉の新旧は関係ないのです。

 午後は原発からほど近い建物に移動し、2号機を管理しているファーストエナジー・ニュークリア・オペレーティングカンパニーから説明を受け、意見交換を行いました。この日は再び3時間かけてワシントンD.C.に戻り、1日が終わりました。

10月12日(水)
 視察団一行はまず米国原子力規制委員会を訪問しました。私は説明の途中で退席して空港に直行したので、この後の報告は帰国後、委員会に提出された正式な報告書(こちら)をご紹介致します。今回は本当に視察の一部分しか参加できませんでしたが、それでもスリーマイル島原発を自分の目で見る機会を得たのは貴重な体験でした。

 日華議員懇談会(超党派の友好議員連盟)のメンバー18人は10月9日(土)から2泊3日で台湾を訪問し、双十国慶節祝賀式(建国記念)や記念行事に参加しました。団長は日華議員懇談会会長の平沼赳夫先生です。今年は台湾建国99年、来年はいよいよ100年の節目になります。私は2年前の馬英九総統就任式以来の台湾訪問で、国慶節は初めてだったのでいい経験になりましたが、超ハードスケジュールでした。

10月9日(土)
 14時15分発の中華航空で16時45分、台北に到着。時差は日本より1時間遅れです。飛行場からまっすぐ王金平立法院長(=国会の議長)主催の夕食会に向かい、終了後、ホテルにチェックインしました。

10月10日(日)
2010年10月10日(日)双十国慶節式典にて軍の楽隊が行進2010年10月10日(日)パレードフロート(花車と言います。)
 8時半にホテルを出発し、9時過ぎから総統府にて馬英九総統に謁見。各国の代表団と待合室で30分ほど過ごした後、長い列を作って一人一人謁見します。その後、総統府の外に設けられた特設会場に着席し、10時から2時間以上に及ぶ式典に参加しました。昨晩、一緒に食事をした王金平立法院長が主催者として式典を進行しました。総統のスピーチがあり、その後は音楽やダンスなど、様々な演目が続きます。昔は軍事パレード的な要素が強かったそうですが、今回は冒頭に軍の吹奏楽隊や行進があったくらいで、ディズニーランドのようにパレードフロートが通ったり、着ぐるみが現れたり、お祭りのようでした。予定より30分以上延長し、式典後は与党である国民党中央委員会秘書長主催の昼食会に出席。その後、再び総統府に戻って馬英九総統を表敬訪問しました。午前中の謁見は名前を紹介されて一人一人握手をするだけでしたが、表敬訪問の方は日本祝賀団として時間をいただいていたので、もう少し落ち着いたものになりました。

2010年10月10日(日)台北賓館付近の装飾
 表敬訪問の後は台北賓館(迎賓館)に移動して外交部長(=外務大臣)主催国慶祝賀レセプションに出席。立食形式で広い庭があり、大勢のゲストで賑わっています。けれどもここは30分ほどで退席し、今度は彭栄次亜東関係協会会長主催の夕食会へ。今回の日程はバスに座って、椅子に座って、食べて…の繰り返しで、それ以外の記憶がありません。お腹が空く前に食べて、食べて、また食べて…という感じで、食い道楽の私も食傷気味。適当に残して調整はしましたが、それでも胃袋が疲れました。

10月11日(月)
 朝7時にホテルを出発して空港へ。8時55分発の中華航空で13時5分に成田着。2泊3日は本当にあっという間でした。

 ゴールデンウィーク中、ドイツ政府の招聘事業でベルリンを訪問しました。訪問団は民主党2人、自民党3人、社民党2人、そして国民新党の私という超党派の8人構成です。視察のテーマは「安全保障」と決められており、訪問先も安全保障関係の研究所や軍の施設などがしっかり組み込まれています。政権交代後、日本の安全保障政策はどう変わるのか変わらないのか、ドイツ政府も気にかけているのだということを今回の視察を通じて実感しました。

 日本では普天間基地移設問題についての報道が過熱する一方でした。滞在先のホテルでNHK国際放送のニュースをチェックすると、沖縄を訪問している鳩山総理や徳之島の住民などが映し出されます。今年のゴールデンウィークは私にとって安保一色でした。

 訪問先について、日本側の希望もできるだけ加えていただけるとのことで、再生可能エネルギー分野の視察も行いました。ドイツは環境問題や地球温暖化対策にもっとも積極的で、再生可能エネルギー分野では最先端を走っている国です。行きの東京からフランクフルトまでの便に小沢鋭仁環境大臣が搭乗しており、どうやら旧西ドイツの首都ボンにある、国連気候変動枠組み条約事務局に向かったようです。私達は大臣と別れ、乗り継ぎ便でベルリンに向かいました。以下は日程の詳細です。

5月2日(日)
 16:45 ベルリン・テーゲル国際空港到着
 ドイツ政府から外務省議会内閣課事務官、日本大使館から公使と一等書記官に出迎えていただきました。現地で最初に出会った一等書記官がなんと島根県大田市の出身!地元の若い世代が世界に出て活躍している姿を見ると、普段、島根に若者がUターンしてくれないかなと思っていても、やはりエールを送ってしまいます。

2010年5月2日(日)ブランデンブルグ門(東西ドイツを隔てていたベルリンの壁の象徴)
 この日はホテルにチェックインして少し休憩し、その後、ブランデンブルグ門まで散歩しました。ベルリンは個人旅行で来たことがあるので、ある程度、街はわかるのです。私は旅先での街歩きが大好きです。今回の視察で一緒だった私と同世代の米長晴信議員(民主党)は、前職のフジテレビ時代、初代ベルリン支局長として5年もこの地に住んだ人です。当然、到着した瞬間から「水を得た魚」状態…。チェックイン早々、他の議員を案内して出かけて行きました。マイペースの私は翌日からの団体行動に備え、1人でブラブラと周辺を散策しました。

5月3日(月)
2010年5月3日(月)連合国博物館(旧映画館)の入口
 「再生可能エネルギー」関連の市内施設をバスから見学。プロジェクトの説明を受けながら、エネルギー効率の高い建築物や着工しているプロジェクトを外から眺めました。そして連合国博物館に到着。

 この博物館はもともと駐留米軍の映画館だった建物で、そう言われると確かに入口などは映画館そのものです。ここには1945から1949年にかけての西側連合国(米・英・仏)の活動や役割について展示されています。ポツダム宣言によって日本もドイツも敗戦し、日本が米軍に占領されたように、ベルリンにも占領軍が入ってきます。その時のベルリン市民の不安そうな様子を写した大きなパネルが入口に飾られており、この博物館は「いかにして占領者が友人に変わっていったか。」というテーマで展示物を陳列しています。日本での米軍基地問題を考えると、同じように占領されながら、駐留米軍に対する国民感情がドイツと日本では全く違うことを考えさせられてしまいます。

2010年5月3日(月)大空輸作戦に使われた軍用機
 おそらく「ベルリン封鎖」が米軍に対する国民感情が変化する契機だったのでしょう。ベルリンは米・英・仏・露の4ヶ国によって戦後4分割され、しばらくはそれぞれの分割占領区域を自由に行き来できました。ところが1948年、ルーブル通貨使用地域を囲い込もうとロシアはベルリンへの陸路をすべて封鎖します。空路は閉鎖されなかった為、米軍は大空輸作戦を展開し、兵糧攻めに遭った西ベルリン市民を助けます。(その時、急いで造られたのが私達が着陸したベルリン・テンペルホーフ国際空港の滑走路です。)館内には当時空輸された米国産物資のサンプルや飛行機を歓迎する人々の写真があり、また館外にはこの作戦に使われた軍用機が展示されています。物資の3分の2が石炭、3分の1が食料だったそうです。

 その他、説明で印象的だったことは、戦後のドイツが以下の4つのDから始まったことです。
Denazification(非ナチ化)
Decentralization(非中央集権化)
Demilitarization(非軍事化)
Democratization(民主化)

 連合国博物館で、戦後ドイツ史の基本情報を学習しました。興味深いこととしては、東西冷戦が終わり、軍事的にはもう駐留米軍の必要性はなくなっているのですが、ドイツ国民が駐留を望んでいること、また日本の思いやり予算にあたる駐留費用をドイツは支払っていないことです。ちなみに駐留米軍の規模は6万人です。またドイツはロシアという巨大な隣国を抱え、日本は中国という巨大な隣国を抱えているという点も安全保障上の共通点としてドイツ側から指摘されました。

 博物館見学後はベルリン日独センター事務総長主催の昼食会に出席。ベルリン日独センターは1985年1月15日、コール首相と中曽根康弘総理の提案に基づいて設立された施設で、経済や学術・文化関連の日独協力、国際協力の推進を目的としています。センターの入口の桜が満開で綺麗でした。

 昼食後は政府の庁舎に移動して、外交安全保障担当首相補佐官と懇談しました。

 この日の夕食は自由行動だったので今が旬のシュパーゲル(白アスパラ)を食べに出かけました。シュパーゲルがメインでウィンナーシュニッチェル(肉)が付け合わせ、というのにはビックリ!普通は逆です…。確かに白アスパラがゲルマンサイズで太かった!!

5月4日(火)
2010年5月4日(火)ポツダム気候変動影響研究所2010年5月4日(火)ポツダム会議が開催された建物
 ベルリンを離れてポツダム気候変動影響研究所を訪問。この研究所は連邦予算を受け取り、地球規模の気候変動、持続可能な開発に関する研究を行っています。森林に囲まれた別荘地のような環境に佇む施設で、天文台もあります。主任研究員や立命館大学の客員教授を務めていた研究者からレクチャーを受けました。

 終了後はポツダム会議が行われた場所へ直行。せっかくポツダムにいるなら、やはり政治家として見ておきたい場所です。

 その後、ベルリン市内に戻り、ドイツ学術政策財団国際安全保障研究所(SWP)にて昼食を摂りながらの懇談会。SWPは政府系の研究機関(シンクタンク)で、ドイツ連邦議会や連邦政府に対し、外交・安全保障政策に関するあらゆる問題について助言を行っています。運営経費は連邦予算、及び国内外の研究助成機関の資金から拠出されています。SWPは東西冷戦があった為に作られたという首相府直轄の組織です。司会を務めた研究者の日本語が驚くほど流暢で、聞けば日本で独日同時通訳をされていたとのこと。納得です…。

 SWPは政治的に中立ですが、今度は政党系財団との意見交換会に向かいました。政党系財団にはフリードリヒ・エーベルト財団(FES)、コンラート・アデナウアー財団(KAS)、フリードリヒ・ナウマン財団(FNS)、ハインリヒ・ベル財団(HBS)、ローザ・ルクセンブルグ財団(RLS)の6財団があります。私達はFES本部を訪問し、FES、KAS、FNS、HBSの代表者の方々と懇談しました。

 日本にはない政党系財団について私達は興味深深だったので、色々質問しました。5%以上の得票率があり、2回以上連邦議会に代表を送ると政党は財団を設立することができ、議席数に応じて連邦予算から助成されます。規模は政党により差がありますが、最も古いFESは職員が700人規模で、約100ヶ国に事務所があるのです。それなのに選挙の時は前面に出ないで政党と距離をおく独立した組織だというのです。「日本では税金の使われ方について国民が興味を持つようになり、説明が求められますが、皆さんの財団に税金を使う理由をどう説明されますか。」と思わず私は聞いてしまい、後から皆に「仕分け人!」と言われました。ようやく理解できたことは、ヒトラーを生みだした反省から戦後のドイツは上記の4つのDから始まっているので、国がお金をかけてでも社会に多様な意見を形成しておくことが大事だという価値観があるのです。なるほど。勉強になりました。

 この後は外務事務次官と懇談し、ドイツ議員協会会館でドイツ連邦議会外務委員長及び委員の方々との夕食会に出席しました。政党系財団との懇談では私達が相手を質問攻めにしましたが、今度は逆…。日本が政権交代をして外交・安保はどうなるのだと相手が待ち構えていたような感じでした。

5月5日(水)
 連邦軍派遣部隊指揮司令部を訪問し、副司令官(少将)からドイツの国際貢献活動について説明を受けました。連邦軍派遣部隊指揮司令部は2001年に創設され、国内外に派遣されるすべての活動の計画と指揮を統括しています。現在、約3万人のドイツ軍兵士を海外に派遣しているそうです。アフガニスタンにも活動を展開しており、ドイツ国内では継続すべきでないという世論が強くなってきているという状況です。昼食会まで滞在し、意見交換を続けました。

2010年5月5日(水)サンスーシ宮殿
 この司令部はユネスコ世界文化遺産に登録されたサンスーシ宮殿のすぐ近くにあります。残念ながらサンスーシ宮殿を見学する時間はなく、宮殿前で写真だけ撮って移動しました。

 次に向かったのはベルリン市内のドイツ議員協会会館。ここでドイツ連邦議会軍事オンブズマンと懇談しました。これは社民党の要望を実現したもので、自衛隊員の精神的疾患問題に取り組む阿部知子議員が熱心に質問していました。

 この日の晩は、独日議員連盟会長及び議連メンバー主催の夕食会が市内レストランでありました。

5月6日(木)
2010年5月6日(木)ドイツ連邦議会にて(オレンジジャケットが私)2010年5月6日(木)ドイツ連邦議会屋上のレストラン
 ドイツ連邦議会を訪問し、国防委員会委員長や委員の方々と懇談しました。ただこの日はギリシャ危機への対応を巡ってドイツ議会で大論争していたので、議員も出たり入ったり忙しいのです。私達も国会が忙しい時に海外の議員団に対応することがあるので、状況はよく理解できます。後で聞いたら、結局この日は結論が出なかったそうです。

 連邦議会議事堂は屋上がガラスのドームになっていてベルリンの人気観光スポットです。屋上には日本のデパ地下でも目にするケイファー(ソーセージが有名)がレストランを出店していて、ここで昼食を摂りました。

2010年5月6日(木)ドイツ連邦議会の様子
 その後、議事堂の見学ツアーに出かけ、連邦議会の様子もしばらく見ていました。

 午後はドイツ・エネルギー機関本部を訪問しました。ここは日本の独立行政法人、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)に相当します。ドイツは再生可能エネルギーの利用促進による二酸化炭素25%削減を目標にしており、今後の取り組みについて説明を受けました。

 ドイツ滞在最終日の夜は日本大使公邸で大使主催の夕食会に出席しました。日本の国力や存在感が国際社会で見る見る衰え、中国の影響力が欧州でも強まっていることを、職業外交官の肌感覚としてのお話からよく理解できました。

 今回のドイツ訪問はとても勉強になり、日本の外務省や衆参両院が予算を使って外国の議員団を招聘する理由が、逆の立場になってみてよくわかりました。また私達が感心したことは、外交問題についての回答がドイツ側は統一されていること、政府でも研究機関でも対外的には共通の見解を示すのです。私達は超党派の議員団でしたが、やはり日本政府の代表として意見の食い違いは見せられないという「国益」意識は自然と芽生えるもので、一緒に行動していると日本人特有の連帯感みたいなものが生まれてくるのです。また一箇所に5連泊という日程は、ドイツ政府主導だからできたことで、駆け足で巡るよりも色々なことが見えてきます。

 今回の訪問でドイツとご縁ができたので、今後、独日間の国際交流にも力を入れたいと思います。

 4月3日(土)に日本を出発し、日本人宇宙飛行士、山崎直子さんが搭乗したスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げに立ち会いました。

4月3日(土)
2010年4月3日(土)ボールデンNASA長官
 ワシントンで乗り継いでフロリダ州オーランド国際空港に同日到着、ここから車で1時間弱走ってココビーチという大西洋岸の町のホテルにチェックイン。日本を出てから24時間経っています。遠い!!しばらく休憩し、夜はJAXA主催のレセプションに出席して乾杯の発声をしました。この日、気になったことはボールデンNASA長官のスピーチ…「今日は日本の議会からも参加されているようですが、HTV技術を更に発展させて日本が有人飛行に取り組むことを期待しています。」という発言があり、議会関係者は私1人なので焦りました。一応、乾杯の挨拶の時に「HTV技術の向上に取り組みます。」と返しておきました。これがいきなり出てきた話なのか、そんなことを突然みんなの前で言うものなのか、JAXAや文部科学省の担当者に聞いてみたら、どうやら最近ボールデン長官はこの発言を繰り返しているようなのです。

 どういう意味なのかご説明しましょう。今、日本の野口聡一宇宙飛行士がロシアのソユーズでISS(国際宇宙ステーション)に行って長期滞在しています。というのもアメリカのスペースシャトルは山崎直子さんの飛行後、残り3回の打ち上げをもって今年度中に引退するので、今後はロシアのソユーズしか有人飛行の手段がないのです。本来はコンステレーション計画による次世代ロケットにスムーズに引き継がれる予定でしたが、開発は到底間に合わず、スペースシャトルの引退と宇宙ステーションの継続使用だけが現実問題として迫ってきています。宇宙開発分野で世界をリードしてきたアメリカに有人ロケットがない、これからアメリカの宇宙飛行士をISSに送るのに毎回ロシアに頼むのだとしたら、いくら冷戦後だといってもアメリカのプライドが傷付くのではないか…と私は思います。3人しか乗れないソユーズにアメリカ人を搭乗させてもらい、さらに実験用機材や食糧も一緒に乗せてくださいとは言いにくいだろうな…と推察していたら、そこに救世主のように現れたのが日本のHTV(補給機)。昨年9月に実証機が完璧な打ち上げとISSへのドッキング、離脱まで全ての過程で成功したのです。この時、NASAからは20人ほど打ち上げ視察に来日し、HTVに大変な関心を寄せていました。(その他の活動報告参照)

 JAXAによるとNASAは初め、HTVの開発計画を相手にしなかったそうです。人間が常時滞在するISSにドッキングする宇宙船は有人が当たり前であって、無人の宇宙船がフラフラ近づいて激突したらどうするのだ、という理屈です。けれども日本はこの難しい技術を一度で成功させ、物資だけならHTVで補給できるようになりました。アメリカとしては、HTVに早く人も乗れるようにしてほしいということなのでしょう。今、もし日本に有人ロケットがあったら、アフガニスタンにアメリカが期待するような支援ができない分を科学技術で穴埋めできるのに…と思います。アメリカにとってはロシアより同盟国日本の方が頼みやすいはずです。やはり日本は軍事協力できない部分を科学技術で補完している国であり、それを武器として外交交渉で使うべきだと私は思います。

 HTV打ち上げ成功後、アメリカは今年2月にコンステレーション計画を中止し、先が読めない中でのNASA長官の発言でした。(私の帰国後、4月15日にオバマ大統領はNASAで宇宙政策について演説し、2030年代に火星に有人飛行するという目標とコンステレーション計画のうち、有人宇宙船「オリオン」だけを復活させました。それでも次世代ロケットの設計に2015年までかかるそうです。)NASAは次世代ロケットの完成までは民間ロケットに期待するなど他力本願になっているようです。

 レセプションの後はさすがに疲れてベッドに倒れこみました。

4月4日(日)
2010年4月4日(日)発射台のスペースシャトル2010年4月4日(日)ディスカバリー号2010年4月4日(日)こんな近くに行きました。
 専用バスでケネディ宇宙センターへ。初めに宇宙ステーション整備施設棟に向かいました。昨年、私が見学した時は「きぼう」のモジュールなど、施設内にもっと色々あったので、この1年でISSの組み立てが進み、完成に近づいたことがよくわかりました。この後、スペースシャトル発射台のすぐ横まで行くことができました。これは画期的!!普段はカバーがかかっていて見られないのですが、打ち上げの数時間前なのでカバーも外してあって絶好のシャッターチャンスでした。

2010年4月4日(日)アポロサターンVセンター内カフェの看板2010年4月4日(日)ドイツの宇宙飛行士と一緒に
 この後、アポロサターンVセンター(ケネディ宇宙センター内の見学者用展示施設)で昼食。ここにはカフェやギフトショップもあり、大勢の見学者で賑わっています。ドイツ人の宇宙飛行士が通りかかったので、記念写真をお願いしました。そして一度ホテルに戻り、休憩…深夜にバスで再出発です。

4月5日(月)
 午前2時頃、専用バスでケネディ宇宙センター内のビジターコンプレックスへ。5階のアストロノート・エンカウンター・シアターで今回のミッションの説明会やNASA長官による挨拶、日本側からは文部科学次官の挨拶がありました。(旧科学技術庁出身の次官は理系の留学経験者で英語も堪能です。)

2010年4月5日(月)バルコニーで打ち上げを待つ私
 ミッション説明会の後、ロビーに用意された朝食を食べ、早めにバルコニーに陣取りました。招待者しかいないので混雑はなく、場所取りの必要もないのですが、一生に一度のチャンスなので最前列で見ようとバルコニーの手すりに張り付いていました。昨年の若田光一さんの飛行の時とは打って変わって今回の打ち上げは不安要素がなく、順調にカウントダウンの数字だけが減っていきます。

 6時4分頃、上空をISSが通過しました。ISSは地上400kmの軌道を周回しており、肉眼で見えるとは聞いていましたが、初めて見て感動しました。星より大きな光る物体が後方から現れてゆっくりと遥か前方に消えていき、バルコニーから歓声が湧きました。本当に星とは違うので誰が見ても明らかです。

2010年4月5日(月)発射台のスペースシャトル2010年4月5日(月)上昇するスペースシャトル2010年4月5日(月)NASA伝統の打ち上げ祝い「コーンブレッドとベイクドビーンズ」ホットソースの瓶を手に
 そして6時21分、いよいよスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げです。ISSにドッキングさせやすいようISSが通り過ぎて間もなく、つまり近くに打ち上げるのです。5、4、3、2、1…エンジンが点火され、フワっと浮き上がったと思ったら、エンジンの下から白い噴煙が巻き上がってとても幻想的…歓声が沸き起こります。私達が見ていた地点は射点から約5km離れており、音はまだ届きません。と思ったらドドドドド…バリバリバリバリバリ…というものすごい音を立ててロケットが思っていたよりゆっくりと真っすぐ上に上昇していきます。新幹線がすれ違う時のような風圧、震度1程度のバルコニーの揺れも感じました。やっぱり日本のH2ロケットとはスケールが違います。この日は雲がほとんどなかったので最後までよく見え、上空で旋回して水平飛行に入り、ISSと同じ方向に消えていくまで完璧に目で追うことができました。NASAの長官を初めとしてブリーフィングをした宇宙飛行士など、何人もの人が打上げの瞬間は特別だからシャッターを構えるな、ファインダー越しに見るな、写真ならNASAのホームページからダウンロードすればよいと言うので、忠告に従って私もしっかり肉眼で見ました。でも意外に長い間見えていて、打ち上がった後の雲の形が面白かったので1枚撮ってしまいました。まだ暗い中での打ち上げで本当に美しかった!!日本から飛んできた甲斐がありました。日本人が搭乗するスペースシャトルの打ち上げは今回が最終であり、私も事業仕分けの準備の合間に根性で渡米しましたが、本当に行ってよかったと思いました。去年は残念だったけれど再チャレンジ成功です。

クルーベア(CREW BEAR)
クルーベアのぬいぐるみ
 今回、一目惚れして購入したNASAグッズ「クルーベア」、ケネディ宇宙センターのギフトショップで発見しました。宇宙服を着たテディベアはさすがに初めて!事務所の一角に宇宙コーナーを作り、いつもそこにいます。オフィスのぬいぐるみはテンピー(地元の活動報告参照)に続いて2匹目です。

2009年3月10日(火)JAXA(独立行政法人宇宙航空研究開発機構)主催レセプションで挨拶
 米国東部時間3月11日夜に予定されていたスペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げを視察する為、日本を3月10日に出発し、フロリダ州に向かいました。残念ながら打ち上げ当日、燃料(液体水素と酸素)充填を始めたところ、外部燃料タンクからの液体水素漏れが発覚し、急遽打ち上げが延期されました。最短でも修復に4日は要するとのことだったので今回は帰国し、結局、ディスカバリーは日本時間で3月16日8時43分に無事打ち上げられました。当初2月12日に予定されていた打ち上げは5回も延期され、その不確実性と難しさを実感する旅になりました。

 昨年、国会で宇宙基本法が成立しましたが、私は「宇宙基本法フォローアップ議員協議会」という議員連盟に加盟しています。この法律に賛成した政党から数名ずつ議員が参加しており、私は国民新党を代表してただ一人、加盟しています。小さな政党なので色々な仕事が私に回ってくるのですが、宇宙については子供の頃から興味があるので、勉強するにつれておもしろくなってきました。

2009年3月12日(木)ISS整備棟
 現地に行ってわかったことですが、まずスペースシャトルが地球を周回するだけだった頃とは異なり、ISS(国際宇宙ステーション)時代の打ち上げは、シャトルをISSにドッキングさせなければならない為、軌道計算上、打ち上げ可能な時間枠は1日に10分しかありません。シャトル整備を完璧にした上で、その10分間に気象条件が整わなければ、打ち上げは延期されていきます。また打ち上げの2秒前までは緊急停止が可能なシステムになっています。打ち上げに立ち会えなかったのは残念でしたが、通常は入ることができないNASAの施設を見学し、日本人宇宙飛行士の星出彰彦さんや山崎直子さん(若田光一さんは隔離されていましたが)、またシャトルに2回搭乗した向井千秋さんともお話することができました。

 ケネディ宇宙センターはフロリダのオーランド国際空港から車でビーチの方向に1時間ほど走ったところにあり、空軍基地に隣接しています。すぐ近くにはココビーチというサーファーのメッカがあり、なんとNASAは自然保護区のど真ん中に位置しているのです。広大な敷地内の移動はもちろん車、そして道路脇の小川をよくよく眺めるとワニが数匹…。打ち上げ直前には野生動物を追い払う係もいるという環境には驚きました。

 スペースシャトルはもともと5機ありましたが、そのうち2機(チャレンジャーとエンデバー)を事故で失っています。事故で亡くなった宇宙飛行士は14人…。これはNASAが想定していた以上のロスで、米国はブッシュ前政権時代にスペースシャトルの打ち上げを2010年で終了すると決めています。現在はConstellationという次期ロケットの開発計画が進行中ですが、これは国際宇宙ステーションだけではなく、月や火星にも飛ばすことのできるロケットとして開発されています。

2009年3月12日(木)オービター整備施設1
 ところでスペースシャトルというのは、打ち上げられる燃料タンク等を含めた総称であり、宇宙を飛行する部分はオービターと呼びます。そしてその形状を見てもわかる通り、ロケットというより航空機に近く、しかも燃料タンクのすぐそばに外付けされているので、打ち上げ時に露出し衝撃にさらされるという点で危険度が高いのです。過去の2回の事故は両方とも打ち上げ時の機体の損傷が原因で起きた事故です。

2009年3月12日(木)スペースシャトル組立棟12009年3月12日(木)スペースシャトル組立棟2
 次世代ロケットは先端のカプセル部分に宇宙飛行士が乗り込むという従来の形状になるそうで、打ち上げ時にはカプセルは蓋の中に納められているので、スペースシャトルより遙かに安全です。問題はシャトルの打ち上げを中止してから次世代ロケットの運用が始まるまでに5年ほどのブランクができてしまうことです。その間ISSをどうするのか議論が続けられており、まだ結論に至っていません。現在でも地球とISSの間を往復できる機体はスペースシャトル3機とロシアのソユーズの計4機のみです。(ちなみにソユーズはカプセルに人が乗り込む伝統的な形状です。)現在ISSに長期滞在中の若田光一さんは6月に打ち上げられるスペースシャトルで帰還する予定であり、野口聡一宇宙飛行士はソユーズに搭乗してISSに向かうことが決まっています。

2009年3月12日(木)オービター整備施設22009年3月12日(木)オービター整備施設3
 このような状況についても今回の視察を契機に知ることができました。現地では整備中のスペースシャトル「アトランティス」のオービターを間近で見学し、その真下に立ちました。ロケット組み立て用の建物や発射台、ISSの整備棟なども見せていただきました。帰国してから米国大使館のNASA担当の方ともお会いし、やはり現地視察は知識と人間関係を広げるものだと実感しています。

2009年3月12日(木)スペースシャトル発射台
 宇宙開発の技術、ロケットや人工衛星を打ち上げる技術は軍事転用にも繋がるもので、北朝鮮の「飛翔体」打ち上げは日本にとって一大事でした。日本は宇宙の平和利用を目的として宇宙基本法を制定しています。そのモニタリングを目的として宇宙基本法フォローアップ議員協議会は設置されているのですが、やはり技術立国の日本として宇宙開発分野で世界に遅れないようにすることは必要だと私は思います。