2月27日(月)
 東日本大震災から6年。東京の明治記念会館で「エルトゥールル号からの恩返し 日本の復興の光大賞17」の表彰式と懇親会がありました。このイベントは、日本トルコ文化協会が復興に尽力している日本の民間団体を表彰するもので、今年で3回目。審査委員長は第1回からジャーナリストの池上彰さんが務めています。

2017年2月27日(月)トルコの子供達による合唱
 トルコは親日的な国。その礎となったエルトゥールル号の話は映画「海難」で描かれています。写真はトルコの子供達による合唱の様子です。国内で震災の記憶が風化しつつあると言われる昨今、外国からの継続的な活動はありがたいと思います。

 ゴールデンウィーク明けの5月10日(火)に参議院環境委員会として宮城県を訪問し、瓦礫処理に関する調査を行いました。

 早朝、東京駅から新幹線で仙台駅に向かい、午前中は仙台市役所と宮城県庁で概況説明を受けました。昼食後は
1.災害廃棄物仮置き場(仙台市宮城野区海岸公園蒲生地区)
2.JFE条鋼株式会社仙台製造所(民間企業被災状況視察)
3.多賀城市役所(概況説明)
4.瓦礫等災害ゴミ置場(多賀城第二中学校隣接地)
5.廃棄物最終処分場(石積埋め立て処分場)
6.廃棄物焼却施設(仙台市松森工場)
の順に視察し、仙台駅より帰京しました。

 この派遣報告は以下の通り、5月24日(火)の参議院環境委員会にて行われました。



2011年5月10日(火)ひび割れた大地2011年5月10日(火)災害廃棄物仮置場2011年5月10日(火)仮置場に積み上げられた車2011年5月10日(火)壊れた堤防2011年5月10日(火)乗り上げた船
北川イッセイ環境委員長
 環境及び公害問題に関する調査を議題と致します。

 先般、本委員会で行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取致します。山根麓7。

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 ご報告を致します。

 去る5月10日、東日本大震災における災害廃棄物処理への取り組み状況等に関する実情調査の為、北川委員長、轟木理事、有村理事、川口理事、白委員、松野委員、谷川委員、加藤委員、水野委員、亀井委員及び私、山根の11名で宮城県において調査を行ってまいりました。

 以下、調査の概要についてご報告致します。

 東日本大震災による被災状況、災害廃棄物への取り組み方針などについて、宮城県、仙台市及び多賀城市から説明を聴取致しました。

 まず、宮城県についてであります。宮城県の被害状況は、死者約8,800名、行方不明者約6,000名、全壊した住宅は約57,000棟、避難者数は約35,000名に及び、被害額は約2兆2,800億円と推計されております。

 災害廃棄物の量は概ね1,500万トンから1,800万トンと推計され、これは県全体のゴミの排出量約23年分に相当するとのことであります。処理については、まず被災地から災害廃棄物を市町村内に数ヶ所配置した一次仮置場に搬入し、その後、県内4地域にそれぞれ数ヶ所配置する二次仮置場に集積し、破砕や焼却を行うとしております。その期間は、被災地からの災害廃棄物の搬出を概ね1年とし、概ね3年以内に処理を終了するとしております。

 派遣団との意見交換では、二次仮置場については設置の目途が立っていない地域もあること、また仮置場での長期保管により有害物質が拡散する場合には応急的に対処せざるを得ないこと、焼却灰などの埋め立ては県外処理も見込まれることなどの説明がありました。また今回、地方自治法の事務委託として、県が市町村に代わり処理を行うことができるが、国からの補助金の事務手続きが煩雑であり、この点、国直轄の方が負担は軽減され得るとの説明もありました。

 次に仙台市についてであります。仙台市の被害状況は、死者680名、行方不明者180名、住宅のうち全壊したものは3,190棟、津波により浸水した面積は市全体の約7%であり、産業やライフラインなどに多大な被害が発生し、その被害額は約6,400億円と見積もられております。

 震災により発生した災害廃棄物は約103万トンと推計されており、これは仙台市のゴミの約3年分に相当するとのことであります。こうした災害廃棄物を集積する為、海岸公園など3ヶ所に合計約100ヘクタールの仮置場を整備し、搬入が行われております。可能な限りリサイクルを行う為、仮置場では分別を進めているほか、仮設の破砕施設を設置するとしております。また可燃物や津波により塩分を含んだ廃木材など、リサイクルが困難なものは仮設の焼却施設により処理することとしております。これにより宮城県と同様、3年程度を目途に全処理の完了を目指すとしています。

 派遣団との意見交換では、国に対して、廃棄物処理業者などの団体等を通じて業者へ個別に処理を委託することについて、法令の弾力的な適用をお願いしたいこと、また国の直轄処理も検討される中で、震災直後から市が早期に取り組んできた対策の費用負担についても、国の補助を確実にお願いしたいことなどの要望がありました。なお処理費用は全体で約1,000億円と見込まれております。

 次に多賀城市についてであります。多賀城市の被害状況は、津波により市の約3分の1が浸水し、死者は185名、行方不明者は4名、全壊した家屋は約1,200棟などとなっており、未だ905名が避難所生活を余儀なくされております。仙台港の石油コンビナートが爆発し、火災が発生したほか、市内の中小企業の被害も大きく、復興への道のりは険しいものがあります。

 瓦礫等の撤去は既に始まっており、市内に3ヶ所の仮置場が設けられております。またペットを連れた避難者の対応につきまして、4ヶ所の避難所のうち2ヶ所におきまして専用エリアを設けているとのことです。派遣団からは事業系一般廃棄物の処理状況、仮設トイレのし尿処理の状況、浄化槽の被害状況、ボランティアの活動状況などについて質疑が行われました。

 なおその際、東日本大震災への支援についての要望書が菊地市長から北川委員長へ手渡されました。

 以下、視察先であります仙台市災害廃棄物搬入場、石積埋立処分場及び松森工場、多賀城市災害廃棄物仮置場並びにJFE条鋼株式会社仙台製造所の取り組み状況をご報告致します。

 まず仙台市が宮城野区の海岸公園蒲生地区に設置しました、災害廃棄物の搬入場についてであります。海岸公園蒲生地区は野球場施設など広大な敷地があることから、最初に仮置場とされたものであります。蒲生地区は23万立方メートルの災害廃棄物を搬入する予定であり、既に8万立方メートルの災害廃棄物が搬入されております。

 搬入した災害廃棄物は、自動車や家電に加えて金属、木くず、可燃ゴミなどに分別して保管しておりますが、有害物質による土壌汚染を防ぐ為、遮水シートなどが敷設されております。

 次に仙台市の石積埋立処分場、及び松森工場についてであります。

 まず石積埋立処分場は、焼却工場の焼却灰や不燃ゴミを埋め立てているほか、焼却灰の溶融スラグを管理しています。震災後は瓦礫などを埋め立てており、当初平成30年度までとしていた埋立期間が短くなると予想されております。派遣団からは溶融スラグの利用状況、処分場の跡地利用などについて質疑がありました。

 また松森工場は、平成17年竣工の最も新しい焼却施設であり、1日当たりの処理能力200トンの焼却炉が3基24時間運転し、余熱により自家発電を行っているほか、灰溶融炉も備えております。震災によりゴミクレーンの脱輪などの被害が発生し、焼却は再開しているものの、現時点において約7,000トンのゴミが未焼却の状態となっております。派遣団からは放射性物質によるゴミの汚染状況、紙ゴミの焼却とリサイクル状況、補修管理等の民間への委託状況、余熱の利用状況、今後の焼却処理の見通しなどについて質疑がありました。

 次に、多賀城市が三陸自動車道のインターチェンジの予定地に設置しました、災害廃棄物の仮置場についてであります。

 ここには11万立方メートルの搬入を予定しており、既に約2万立方メートルが搬入済みとのことであります。二次仮置場が未定の為、焼却処理の目途が立っていないとのことでありました。

 次に、仙台港にあるJFE条鋼株式会社仙台製造所についてであります。

 仙台製造所は、主に内外の自動車メーカー向けの特殊鋼を製造しており、生産量は年間8万トンとなっております。震災により自家発電設備の煙突が倒壊し、また大津波により一瞬のうちに構内全域が水没し、電気設備に甚大な被害が生じたほか、構内には汚泥や廃棄物が堆積するなどの被害が発生し、岸壁には大型船舶が乗り上げた状態となっております。社員403名のうち2名が死亡し、1名が未だ行方不明であります。

 現在、構内の排水作業及び道路整備がほぼ完了し、廃棄物の集積、搬出が始まっており、7月の東北電力による電力供給再開に合わせて復旧作業が行われておりますが、設備の復旧には長時間を要することなどから、国に対して被災地を特区とし、復興に向けた財政・税制面の支援など、総合的な支援策をお願いしたいとのことであります。

 以上が調査の概要であります。

 今回の派遣では、仙台市において災害廃棄物への取り組みが着実に進んでいる状況を見ることができましたが、一方、県北の市町村では復旧が遅れている地域もあり、膨大な災害廃棄物処理には全国的な見地から広域的な処理体制の構築が早急に必要であると強く認識した次第であります。

 なお、多賀城市からいただきました要望書につきましては、概ね被災地市町村の共通事項と考えられますことを勘案し、またJFE条鋼株式会社仙台製造所からも8項目に及ぶ要請を受けましたが、これらの要請事項につきましても、被災された企業の共通事項と考えられますことから、参考資料としてこれを本日の会議録の末尾に掲載していただきたく、委員長のお取り計らいをお願い致します。

 最後に改めまして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、被災者の皆様方に心からお見舞いを申し上げますとともに、被災地の1日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

 今回の派遣に際し、お世話になった関係者の方々に厚く御礼を申し上げまして、報告を終わります。

北川イッセイ環境委員長
 以上で派遣委員の報告は終了致しました。

 4月14日(木)から1泊2日で亀井静香代表が被災地の視察を行いました。私も14日(木)から参加したかったのですが、残念ながら環境委員会と重なり、環境アセス法案の質疑・採決が行われたので、2日目だけ参加しました。

2011年4月15日(金)仙台空港
 7時半に羽田から飛び立って再開したばかりの仙台空港に着陸、空港からタクシーでまっすぐ宮城県庁に向かいました。仙台空港の周りはテレビ映像の通りで広大な平野に倒木が目立ちます。空港を出て最初に目に入ったのが「カメイ」という名前の会社と看板…。次が航空大学の建物…。あとは多少の店舗が残っているくらいで、瓦礫というより流されて何もないという印象を持ちました。高速道路が盛り土になっていて堤防の役割を果たしたらしく、この道路を走ると右と左で被害状況がまるで違うのです。

2011年4月15日(金)仙台市名取地区2011年4月15日(金)避難所の様子
 仙台市内まで渋滞もなく、40分ほどで県庁に到着しました。ここで国民新党の視察団を待ちます。一行は前日、岩手県の達増拓也知事に面会し、陸前高田市や気仙沼市を視察して一関市に泊まっていました。10時少し前に無事合流し、まずは三浦秀一副知事に面会。その後、市役所に移動して奥山恵美子市長と面会、それから市内の避難所を1ヶ所視察しました。

2011年4月15日(金)南相馬市長と対談2011年4月15日(金)避難所の掲示板
 避難所を出た後は福島県へ。南相馬市の避難所を回り、それから桜井勝延市長と面会しました。仙台市と南相馬市の避難所を訪ねて実感したことは、津波で家を失くした被災者と原発の被災者では置かれている状況が全く違い、それは避難所の雰囲気にそのまま表れていました。命からがら逃げて助かった被災者と、いつまで家に帰れないのかわからない被災者ではストレスの種類が違う、と言ったらいいのでしょうか。南相馬市の避難所では人々の目が怒っているのがわかります。ここでは色々な人と話すよりも、話しかけてきた男性の話をじっくりと聞くことにしました。とにかく見通しを示してほしい、土壌改良が○年後に終了するからその時まで避難していてほしい、というような具体的な話が聞きたいと言われました。

 桜井市長とはこれまでの経緯、情報がない中で孤軍奮闘したこと、金融機関をなかなか開けてもらえないこと、東電から100万円を配られる世帯と配られない世帯に市が分断されてしまうこと等、大変な状況について直接伺いました。市役所の後は飯館村を通り、福島県庁で佐藤雄平知事と面会、その後、福島駅から新幹線で帰京しました。

2011年4月15日(金)畑の中の漁船
 今回の党の視察は3県の知事(または副知事)に面会して直接話を聞くこと、被災状況を目で見て確かめることを目的としていました。亀井代表は特に陸前高田市の風景、本当に街ごとなくなってしまった状況にショックを受けたようでした。私も映像で見てはいたけれど、あり得ないところに船が転がっていて、あんな光景は初めて見たので衝撃でした。「戦後の焼け野原」という言葉が頭に浮かび、何もないところから復興するとはこういうことを言うのだろうと思いました。これは大規模な復興予算が必要です…。

2011年3月28日(月)各党・政府震災対策合同会議実務者会合
 3月11日(金)の東日本大震災発生から3週間が過ぎ、暦も4月に変わりました。震災が起きてからの日々についてご報告致します。

 私は震災の時、参議院議員会館12階のオフィスにいました。揺れが収まってから本館(国会議事堂)の国民新党控室に向かい、この日から17日(木)までの1週間は連日、控室に詰めて情報収集に当たりました。政府の情報は国会内の民主党国会対策室を通して不定期に入ってきましたが、福島原発事故に関する情報が連日錯綜していました。特に翌12日(土)に発生した1号機建屋の水素爆発に至っては、震災後初の与野党党首会談の最中(午後3時36分)に起きたのにも関わらず、同席していた幹事長は控室に戻るまでその事実を知りませんでした。爆発前の原子力安全・保安院の会見では「圧が下がった。優位に展開している。」という報告だったので、控室でテレビの映像を見ながら絶句しました。どう見ても深刻なのは明らかです。そしてこの事実を枝野官房長官が会見で伝えたのが午後5時50分、原子力安全・保安院が会見で伝えたのは午後6時を過ぎてからです。せっかく国会に詰めていても全然情報が下りてこないので、翌日に出演したNHK「日曜討論」(国民新党ホームページ メディア出演結果(レポート)参照)では私の体験をそのまま伝えました。この日も番組が終わってから国会に向かいました。今度は3号機建屋が1号機と同じ状態に陥り、翌日には水素爆発…不安は増すばかりでした。

 連日、政府は原発対応に手一杯になり、その情報の混乱ぶりと被災者対応の遅れに与野党とも業を煮やしました。震災発生から4日後の3月16日(水)、ようやく第1回各党・政府震災対策合同会議が開催されました。震災については与野党協力して取り組むこと、その為には野党議員も官邸の会議メンバーに加えることを、我が党の亀井静香代表は菅総理に提言しましたが、結局民主党は野党を官邸には入れずに政府との合同会議という形を選んだのです。各党も合同会議という窓口で一元化して要望することで、現場が混乱しないように配慮し、その代わり政府に質問・要望したことに対して必ず回答を出すように強く求めました。2回目の合同会議は18日(金)に開催され、この会議を親会として実務者会合を毎日開催することになりました。親会は下地幹事長と2人、実務者会合は私が担当になり、代理がいないので最近は東京に張り付いています。

 この実務者会合は原発以外については、ある程度の成果を挙げたと思います。原発については原子力安全・保安院の寺坂院長が毎回説明するのですが、とにかく答えない、情報を隠していると言わざるを得ません。

 以下はこの会合で各党が要望して実現した事例です。政府が対応した背景には、各党に迫られて実現したことが多々あるのです。

<福島原発についての要望>
・首の長い生コン圧送機(通称キリン)が存在するので放水に使うべき。(→現場に投入)
・SPEEDIのデータの公表。(→公表)
・20km〜30km圏内の住民を避難させること。自力で避難できない弱者は迎えに行くこと。(→避難所までバスを手配)
・農作物について、県単位ではなく地域単位で扱うこと。(→一部出荷制限が解除)

<被災者支援についての要望>
・原発対応と被災者支援は二元化し、被災者対応を急ぐべき。(→被災者生活支援特別対策本部を設置)
・瓦礫撤去についての政府指針を早急に作成して現場に伝える。また政府が費用を負担するというメッセージも同時に伝える。(→環境省が指針を通達。松本龍防災担当大臣が費用負担を明言)
・閉館予定のグランドプリンスホテル赤坂や、新築の公務員宿舎東雲タワーは避難所として使える。(→被災者入所開始)
・雇用調整金を計画停電による休業等にも使えるようにすべき。(→政府が明言)
・客船をチャーターして避難所に使うべき。(→数隻で対応)

 ガソリンが足りない、温かい食べ物の提供、風呂の用意等々、被災地状況については各党が連日改善を求め、それは現在も続いています。

 今後はボランティアの体制や計画停電について更に議論する予定です。