トランプ大統領が誕生しました。アメリカのエリート層、いわゆる知識人達は「まさか現実になるとは…。」とショックを受け、国を憂いていることでしょう。国民の選択、民主主義の下での選挙結果ですから仕方ありません。また「隠れトランプ」と言われる人々にはエリート層が含まれており、暴言を吐くトランプ氏を堂々と支持できないが、共感できるという人々が少なくないのだと思います。

 就任式当日に行われた反トランプ集会の規模や様子(一部が暴徒化)を見て、アメリカ社会の分断の深刻さを改めて感じました。隣国の韓国はもはや国の体を成していませんが、アメリカだって他人事ではありません。

 安倍政権は、そして自民党は、アメリカが半永久的に大国であり続け、日本を守ってくれると錯覚しているのではないでしょうか。けれども歴史を振り返れば、ローマ帝国は滅び、スペインやポルトガルは大国ではなくなりました。ソビエト連邦が崩壊し新しい国がいくつも生まれたのは近世の出来事、私が生まれた後に起きたことです。つまり半世紀も経てば世界地図の国境線はいくつも変わり、戦争(地域紛争)もたくさんあり、国力は変化するのです。栄枯盛衰とはよく言ったものです。

 アメリカも南北戦争を経験しています。今後、本格的な内戦とまではいかなくても、国内でテロや暴動が頻発し内政が不安定になれば、世界の警察官など引き受けていられなくなるでしょう。その兆候が見えているし、トランプ氏は「アメリカ・ファースト」だと示唆しています。

 国の安全保障を預かる者は、長期的な危機管理をしなければなりません。戦後、保守系の政治家は「日米安保を基軸とした。」と主張してきましたが、革新系の人々が「米軍基地反対!」と訴えなくても、米軍の事情で縮小・撤退することは十分あり得ます。北方領土問題が発生したのは、日ソ不可侵条約が破られたことが発端ですから、条約は一方的に破棄されることがある、と日本は自覚していなければならない。TPPも、あれほど強硬に推進していたアメリカが脱退したのですから、条約とはいい加減なものだと思っていた方がよいのです。実際、アメリカがTPPを批准しない可能性については、山田正彦氏(元農水大臣)がかなり前から指摘していました。トランプ大統領になったら即離脱、クリントン大統領でも議会が批准しない可能性は少なくなかった。トランプ氏が大統領選で勝利する可能性も無視できないくらい高まっていたのです。山田正彦氏は昨秋訪米し、トランプ人気の高さに驚いたそうで、実際、現地に行った人は「案外、トランプが勝つかもしれない。」という感覚を持っていました。(注:昨年10月、山田正彦氏を講師に招き、民進党島根県連主催でTPPの講演会を開催しました。)

 日本のメディアが政権寄りの報道しかしないことは、国民にとって不幸ですが、実は政権にとっても不幸なことかもしれません。「王様の耳はロバの耳」の寓話のように、心地よい情報しか入らない、正確な情報が入らなくなってしまったのでしょう。トランプ氏の勝利や北方領土交渉が期待はずれに終わったことについて、政府のショックはもちろんですが、予測をはずしたメディアの痛々しい報道は、これまで見たことのないものでした。

 今、日本は「国家百年の計」という視点で将来像を描かなければならない時です。ところが安倍政権はまるで化石のように思考停止しているとしか思えません。選挙中から「TPPを脱退する。」と宣言していたトランプ大統領は、早速、有言実行しただけのこと。日本が首脳会談で懇願しても覆ることはないので、説得など試みないでいただきたい。それこそ痛々しくて見たくないし、国民として恥ずかしく思います。

 安全保障にしても、安倍総理はアメリカに守り続けてもらう為に、自衛隊に集団的自衛権を持たせて海外での武力行使を可能にしようと無理をしました。けれども日本が協力しようとしまいと、アメリカはアメリカの都合で撤退します。それは沖縄であっても、他の地域であっても同じこと。自衛隊の海外派遣については、米軍が撤退する穴埋めに使われる可能性もあるのです。「日本はアメリカを守らないのに、なぜアメリカは日本を守っているんだ?」というトランプ氏の選挙中の発言はアメリカ人の本音でしょう。実際のところアメリカは世界戦略上、沖縄に基地を置いているのであって、日本を守るというのは大義名分です。「自分の国は自分で守る。」、「他国は守ってくれない。」と思った方がよいのです。「アメリカが守ってくれなかったらどうするんだ。」と言うのではなく、原発事故が実際に起きたように、アメリカが守ってくれないケースも想定外にしないことが危機管理ではないでしょうか。安倍総理は「強い日本」を求めながら自国の防衛について他力本願だと思います。

 日本は今こそ、専守防衛に徹するべきです。特に国家間の戦争ではなく武装集団、テロとの戦いの時代に入っているのですから、敵をつくらない外交、海外紛争に加担せず、武器商人にもならない従来の日本外交が求められています。そもそも人口減少時代に自衛隊を海外派遣している余裕もないはずです。

 安倍総理が祖父の岸信介元総理の影響を受けているように、私も親の影響は受けています。アメリカが日本を守れなくなった場合について、昔から議論してきました。永世中立国であるスイスの立ち位置は、平和国家として歩んできた日本の参考になります。そもそも国連常任理事国を目指す必要はなく、大国であろうとして、その義務を果たそうと自衛隊に無理をさせる必要もないと思います。常任理事国というのは会員制クラブのようなもので、外にいれば中に入りたいと思うのは人間の心理です。何が話し合われているのか知りたい。メンバーになりたい。常任理事国入りは外務省の悲願です。ただ何にしてもメリット・デメリットはあるもので、日本が平和国家であり続けることができるでしょうか。安倍総理の積極的平和主義が果たして本当に平和主義なのか、日本が世界の紛争に巻き込まれることはないのか、日本にテロを呼び込むことにならないか、考えなければなりません。また国連がいつまで機能するか、同じ影響力を持ち続けるかということも実はわかりません。

 トランプ政権がどこまでアメリカを変えていくのかまだ未知数ですが、一つ言えること、そして私が共感できる点は、反グローバリズムに舵を切ったということです。80年代から続いてきたグローバリズムによって格差が拡がり、その反動で誕生したのがトランプ政権です。自由主義と新自由主義とは似て非なるもの。人、物、資本、サービスの移動を自由にして国境をなくそう、ワンワールドにしよう、というグローバリズムは、国家間で条約を結んで自由貿易をしよう(その中で守るべき分野はお互い守ろう)という国際化(インターナショナリズム)とは異なるものでした。「自由貿易」と言われれば耳触りはよいが、人々は国家や国境をなくしたいわけではなかった。難民だけでなく経済移民が押し寄せるような状況を望んではいなかったのです。まずは自国民を優先したい。自分の国の将来は自分達で決めたい。共通ルールに縛られたくない。英国はEU離脱を決めました。今年はフランスでもドイツでも選挙があります。NAFTA(北米自由貿易協定)にまで立ち戻って交渉しようというトランプ政権の影響は欧州にも及ぶでしょう。世界中で、特に先進国で、行き過ぎたグローバリズムに悲鳴が上がり始めたのです。ここは「保護主義だ。」と切り捨てるのではなく、日本も立ち止まるチャンスだと捉えるべきでしょう。

 明治維新も然り、日本は自ら変わるというより外圧によって変化してきた国です。トランプ大統領の就任は、安全保障や経済政策の前提条件をゼロにして国家百年の計を案ずるよい機会だと私は受け止めています。安倍総理の悲願である「戦後レジームからの脱却」は、案外、安倍総理が想像しているような姿ではなく、全く違う姿で達成されるのかもしれません。

2016年12月11日(日)半田滋氏
 12月11日(日)、松江市のホテル白鳥にて民進党島根県連が主催し講演会を開催しました。安保法制と憲法についての勉強会という趣旨で選んだ講師は東京新聞論説委員の半田滋氏。

 「日本は戦争をするのか−集団的自衛権と自衛隊」という演題でお話しいただきました。

 今、ついに「駆け付け警護」の新任務が与えられた自衛隊が南スーダンに派遣されています。法律が通ってしまったのだから仕方ないじゃないか…と思う人もいるでしょうが、仕方ないで済む話じゃありません。このままでは自衛隊員が気の毒です。半田氏が自衛隊員の身分について非常に重要な指摘をしていたのでご紹介します。



 自衛隊員は国際法上、身分が保障されていない、守られていないのです。
 そもそも憲法違反の法律を根拠に自衛隊を派遣してしまいました。つまり戦争放棄をした憲法9条の下では自衛隊は軍隊ではなく、あくまで自己防衛の為の自衛隊。もちろん日本には軍法会議も存在しない。すなわち自衛隊員は軍人ではなく国家公務員なので、例えば武装勢力に捕まった際、ジュネーブ条約は適用されず捕虜として扱われません。人を殺した場合、殺人犯として相手の国の法律で裁かれてしまいます。だから安倍総理は憲法9条を早く改正して自衛隊を国防軍にしたいのでしょう。



 これは重要な指摘です。自衛隊というのは警察予備隊から始まった組織です。戦車やミサイルを持った警察があるか!明らかに軍隊の装備なのだから憲法改正して軍隊にすべきだ、というのは1つの考え方です。賛否はともかく論理は通っている。ただ現実には憲法9条は改正されていないし、自衛隊は軍隊ではない。だから自衛隊の違憲論争があったわけですが、この点については既に決着がついています。他国に侵略されて無抵抗なのはあり得ないから、自衛隊をもって防衛するのは自然権の範囲内であると国際社会に認められている。(その他の活動報告参照)そういう環境の下、自衛隊は専守防衛に徹した組織として、また日本は集団的自衛権を行使しない、他国の紛争に介入しない平和国家としての道を歩んできたわけです。安倍総理は戦後レジームからの脱却、つまり日本を普通の国にしたい。軍隊を持ち、集団的自衛権を行使して他国の戦争にも参加できる国にしたいと公言しているわけですが、その為には国民を説得し、憲法改正するのが絶対条件です。

 国家公務員に武器を持たせて紛争地帯のど真ん中に派遣してしまった…。それが今、実際に起きていること、安倍政権がやっていることです。どんなに解釈改憲だと言っても辻褄が合わない、無理があります。集団的自衛権云々の話ではなく、これは生身の人間の話。しかも政府が「比較的落ち着いている」と説明した南スーダンのジュバは、今年10月の国連報告書で治安「不安定」とされた地域です。ここにも嘘がある。現地では国連職員も武装勢力に襲われている、そもそも外国人は内政干渉してくる敵だと見なされています。

 安倍総理が一番問題なのは、正面から堂々と議論せず、誤魔化そうとすること、嘘をつくこと。そして総理の嘘には国民の命がかかっているので、ただでは済まされない。そういう事の重要性、責任をこの人はわかっているのだろうか、自分の体裁が先にきているのではないだろうか、としばしば思います。
 今、本当に自衛隊員が全員無事に帰国することを私は祈っています。

 安全保障法制が山場を迎えました。SEALDsという学生グループが立ち上がり、彼らに触発される形でOLDsやら高校生グループやら「ママの会」やら、様々な市民グループが自発的に集会・デモを行っています。それでも安倍政権は安保法案を強行採決する構えであり、石原慎太郎氏は「国会前のデモは無意味」、橋本徹氏は「こんな人数で国家の意志が決定されるなら、サザンのコンサートで意志決定される方がよほど民主主義だ。」とコメントしています。ずいぶんと上から目線ですねと思います。

 ただデモの効果については私も長年、疑問に思っていました。強行採決を止められないなら、デモは無意味とは言わないけれども影響力はないのではないかということです。それは1960年の安保闘争、いわゆる60年安保の結末から私が感じてきたことでした。

 60年安保の頃は私も生まれていなかったので、ニュース等で流れる映像や写真でしか知りません。国会正門がデモ隊に突破される様子を見て、また東大の女子学生が1人亡くなったことを聞いて、「こんなに激しいデモがかつて日本にもあったんだ…。」という驚きと、「この人達は一体、この後どうしたんだろう?」という疑問でしかなかった。日米安保が改定されても平和は続いているので、「安保闘争とは何だったのか。どうしてあんなにデモ隊は大騒ぎしたのか。」というのは素朴な疑問、というか「謎」でした。

 こういう気持ちは当時を知らない多くの人が持っているのではないでしょうか。特に保守系の人には共通しているかと思います。保守系というのは東西冷戦時代に西側に立っていた民主主義、資本主義を支持するグループという意味で使っています。政党でいうなら自民党。それに対して革新系というのは東側に立っていた共産主義、社会主義を支持するグループ。政党でいうなら共産党、社会党であり、いわゆる「左翼」と言われる人達です。私の立ち位置はもちろん保守系です。父は20年以上、自民党の議員をしていましたから、そういう環境で育ちました。当然、日米安保体制には賛成であり、命懸けで安保改定を阻止する真意が全くわからなかった。デモ隊の「取り越し苦労」だったのではないかと思っていました。

 ただ最近、労組系の人と話してわかったことがあります。私は「安保法案は止めなければならない。強行採決されたら、政権交代させて廃案にするまで諦めてはいけない。」と思っているのですが、その人は「安保法案は止めなければならないし、止められなくても使えないようにしなければならない。」と言ったのです。はじめはその意味がさっぱりわからなかった…。そしてようやく「左翼」と言われる人達の安保闘争に対する考え方がわかりました。

 要するに60年安保の時に岸信介総理が目指したことは、まさに今、安倍総理がやろうとしていること、つまり日米安保体制を軍事同盟として、日米を一体化させることだったというのです。本当は60年安保で集団的自衛権も使えるようにしようと考えていた。ところが安保闘争が激しくなり、人命が失われるほどの事態になったことで、安保改定をしたにも関わらず目指していた使い方ができなくなった。そして歴代の自民党政権は「集団的自衛権は保持しているが行使せず。」、「憲法9条の下では行使できない。」という見解に落ち着き、結果として平和憲法の下で70年間、平和が続いたのです。自民党は経済成長に力点を置く政党になり、安保体制を変えることには触れなくなった。そこに安倍総理が誕生し、「戦後レジームからの脱却」、「おじいちゃんの夢」を実現しようと暴走し始めた…。だから仮に安倍総理が強行採決しても、国民が怖くて法律が適用できないほどにこの運動を大きくしなければいけない、続けなければいけないと思ってデモに参加している。そういうことなのです。この度の安保法案に際して学者達が声を上げ、60年安保の総括に関しても聞く機会があったので、ようやく私の長年の疑問が解消しました。

 私は「戦後レジーム」を変える必要はないと思っています。戦前回帰はしたくない。集団的自衛権の行使は必要なく、行使するのなら憲法改正が必要です。今、安倍政権がやろうとしているのはヒトラーと同じこと、選挙で選ばれた政権が独裁政権に変貌して憲法無視して暴走する…というファシズムに向かう道です。それは止めなければならない。

 安倍政権は60年安保の時のように法律さえ通せば、力によって抑えつければデモはなくなり、何事もなかったかのように収まると思っているのでしょう。けれども60年安保は何も残さなかったわけではないのです。ですから仮に強行採決を止められなくても、このデモは戦いの一歩でしかありません。民主主義の究極的な意志決定は選挙ですから、安保法制を使わせないように国民が圧力をかけながら、次の選挙で政権交代を目指さなければならないと思います。

 私はかつて国民新党にいたので、郵政解散で小泉総理が圧勝した時も、野党が結束して政権交代を実現し郵政民営化法を凍結することを当たり前の目的として目指していました。国民新党を創設したメンバーは5人ギリギリで自民党は強大。結局、政権交代、凍結法成立、改正法成立まで7年かかりましたが、諦めたことはありません。「無理だ。」という空気になったこともない。本当です。どうやって実現するかということしか考えていませんでした。

 ですから今現在、自民党が一強と言われる状態であっても、私は何とも思わないのです。郵政選挙直後の国会は、小泉総理の演説に呼応して与党議員、特に小泉チルドレンがいちいち大きな拍手を送る様子が異様で、当時現職だった父が「ファシズムみたいだ。」と気持ち悪がっていました。議員の3分の2が与党議員ですから本会議場の雰囲気が一変していた。それでも政権交代は起きたので、安倍総理がこれだけ滅茶苦茶に暴走すれば、後で収拾がつかなくなるだろうと思っています。政府答弁がこれほど論理破綻しているのも見たことがありません。

 だから諦める必要はないし、デモは無意味ではない。無力でもない。日本の民主主義を国民の手で守る為の第一歩です。特に若い世代は実際に戦場に送られる世代ですから自分達の将来は自分達で決める。そういう意志を持って戦ってほしい。私も粘り強く政治活動を続けていきたいと思います。

 みんなの党に続いて、維新の党にも分裂騒動が勃発しました。今回の一件を見ていて、国民新党が崩壊した当時のことを思い出したので、そういう視点でコメントしたいと思います。

 まず橋下徹さんを好きか嫌いかは別として、維新の党は橋下さんの下に人が集まった「橋下党」でした。だから「看板」である橋下さんが離党するような状況になったのはやっぱりおかしいと思います。国民新党も創設者で代表だった亀井静香さんを後から入党した議員達が勝手に解任したことが原因で、亀井静香さんと政党発足時から関わっていた私が離党しました。そうなった原因も民主党との連立を解消するかしないかという路線対立だったので、今回の一件はいつか見た光景…「デジャブ」とはこのことだと思っています。当時何が起きていたのかということについては(国民新党で起きたこと国民新党で起きたこと)をご覧ください。

 一方、橋下さんについてですが、ついこの前、住民投票に敗れて政界引退を潔く表明したばかりなのに、再び「大阪都構想」を掲げて国政政党を立ち上げることに、私は大きな違和感があります。ずいぶんコロコロ変わるんだなあ…。それに何の為の住民投票だったのかなとも思います。この辺りについて、橋下さんはきちんと説明した方がいいでしょう。まあ住民投票の時点では自分が立ち上げた政党が乗っ取られる(実質的に名前も政党助成金も取られた状態なので)とは想像もしなかったでしょうから、そういう悔しさはあるでしょう。自分に付いてきた議員の将来に責任を感じているのかもしれません。

 新党名について「おおさか維新の会」の可能性が報道されていますが、政党を立ち上げた経験から申し上げると、「維新の党」がある限り、「維新」という言葉は使えないはずです。過去に似たような名前があると総務省から却下されるので、政党名というのはなかなか難しいのです。今回の分裂にあたり、「維新」の名前をどちらが使うか、政党助成金をどう分けるか、ということが焦点になります。

 政党助成金は所属議員の人数に応じて支払われる分と、直近の選挙で得た得票率による分があります。つまり、もし橋下さんが抜けた維新の党がそのまま存続した場合、橋下さんが好きで政党名を「維新」と書いた人達の票数に応じた政党助成金は、橋下さんが新しい政党を立ち上げた後も、数回先の選挙まで「維新の党」に残った人達が総取りし続けることになります。それでは橋下さんも支持者も不本意でしょうから、ここは注視する必要があります。国民新党の場合も、政党の「乗っ取り」が起きた大きな要因は、政党助成金を欲しかったということのようなので(そうでなければ、不満に思う人達が離党して新党を立ち上げれば済む話なのです)、今回も理屈は同じです。ですから今後、橋下さんに追随する議員が離党して参加するのか、それとも維新の党を分党するのか、というのはかなり大きな問題なのです。

 分党にする為には、橋本さんに付いていく議員が維新の党に残っている間に、維新の党の松野さんや柿沢さん等、党幹部と交渉しなければなりません。そういう交渉があるので、橋下さんの離党に従ってすぐに離党というわけにはいかないのではないかと思います。分党ではなく、離党して新党を立ち上げる場合は、例えば10人離党したとして、その10人分の政党助成金も12月20日頃、維新の党に支払われることになります。今年1月1日時点での所属議員数に応じて支払われるので、人数が減っても年内は関係ないのです。現行法はそういう仕組みになっています。

 ドロドロした話ですが、そういう視点で今回の一件を見る必要があります。国民の監視の目を光らせること、誰がどういう行動を取っているのか、お金の流れを含めてよくチェックし、次回の選挙で判断していただきたいと思います。

 何だか東京オリンピックが無事に開催できるのかあやしくなってきました。東京に決まった以上、成功してほしいですし、きちんと開催・運営する責任があります。ただもともと東京都民のオリンピックに対する熱意はあまり高くないので、東京出身の友人達(特に女性)は新国立競技場問題がこれだけ大きくなってきたのを見て、「やっぱりオリンピックなんていらなかったのよ。」と言い出しています。特に東日本大震災後は「被災地でやればよい。」、「首都直下型地震が来るかもしれないからやめた方がよい。」、「福島の原発が心配だから責任が持てない。」という意見が多々聞こえました。だから安倍総理が原発汚染水について「アンダー・コントロール」(制御できている)と世界に向かって発信した時には「そんな大ウソついちゃって大丈夫なの?」と思ったものです。そういう批判の声は「お・も・て・な・し」と盛り上がった祝賀ムードにかき消されていたのですが、ここにきて急に高まってきたように感じます。

 皆様、覚えていらっしゃいますか。石原都知事時代、オリンピック開催地に立候補してリオ・デジャネイロに敗れたのは、東京都民の支持率が低かったことが要因の一つとされました。確かに都民の間では盛り上がっていなかったし、「日本でやるのは構わないけど東京じゃなくていいんじゃない?」、「これ以上混んだら嫌よね。」、「築地市場の移転とか湾岸開発の理由に使うだけじゃないの?」というのが私の友人達の反応でした。お台場で開催予定だった世界都市博覧会の中止を掲げて青島幸男都知事が誕生したのが1995年、東京が再開発の理由として大型イベントを招致しようとするのは今に始まったことではなく、それに対する都民の冷めた視線は常にあったのです。

 私は最近、2007年の都知事選に立候補した建築家の黒川紀章さんをよく思い出します。直接面識があったわけではありません。ただあの時、東京オリンピック招致や築地市場の豊洲移転に反対する公約を掲げていたこと、特に安藤忠雄さんの名前を挙げていたことが記憶の中に蘇ってきたのです。石原都知事(当時)と安藤さんが一体となって東京オリンピック招致を進めていたことは今や明らかであり、一方ダイオキシンが検出された豊洲に築地市場を移転させることには食の安全の観点から根強い反対がありました。オリンピックに乗じて豊洲を大規模開発しようとしている石原・安藤チームに対して、他の都市で開催すべきだと一石を投じた黒川さんは今、天上から何を思って東京を見つめているでしょうか。当時、黒川さんに対して安藤さんへの嫉妬だと揶揄する声もありましたが、現在進行形の滅茶苦茶な計画が明らかになり、改めて黒川さんは予見していたのではないかと思ってしまうのです。実際、著名な建築家で都知事になる必要などなかった人ですから、東京オリンピック招致計画に物申そうと立候補したようなものでしょう。その年の秋に亡くなってしまった黒川さんが最後に伝えようとしていたことなのではないか、と改めて当時のことを思い出すのです。ご健在だったら今頃、建築家の先頭に立ってバンバン発言されているでしょうね。

 さて石原さんは「安藤さんは悪くない。東京が新税を導入すればよい。」と発言したようですが、こんなことを受け入れられるはずがありません。もともと大規模開発に厳しい目がある中でのオリンピックであり、舛添知事は都民の空気が読めているからこそ500億円の要求に簡単に乗るわけにはいかないのです。「オリンピックが決まってしまったのだから仕方ない。」、「それにしてもあんな大きな施設は神宮外苑にいらない。」と思っているところに今回の杜撰な計画が明らかになったのです。都民が納得するわけがありません。どう考えても現行案は無理でしょう。2,520億円というのはEUを揺るがしているギリシャ一国の債務(2,180億円)より大きく、スカイツリーに換算すると4つ分なんて馬鹿げています。後付けの屋根や維持管理費でさらにコストが膨らむなんてとんでもない!八岐大蛇みたいに頭が何人も出てきて責任転嫁している場合ではありません。追及や検証は後にして収拾をつけないと日本は世界の笑い物です。おそらく国民の大多数はわかっているのに政府と一部関係者だけがズレているのです。

 最後に解体されてしまった国立競技場は「聖地」として都民から愛された場所でした。神宮球場があってその横に国立競技場…別に屋根なんかなくてもオープンスペースでいいのです。国際イベントを招致するのに観客席が足りないことは知っていました。だから日韓ワールドカップの時、決勝戦の会場に使えなくて横浜スタジアムになったのです。(私はワールドカップの時の通訳です。)国立競技場を改修してもよかったのに簡単に壊しすぎた、という声は私だけでなく周囲からも聞こえてきます。国立競技場は何の為に壊されたのかと思うと虚しくなります。

2014年5月31日(土)ライトアップされた国立競技場の美しい芝2014年5月31日(土)こんな光景見たことないです…。2014年5月31日(土)気持ちいい〜!驚異の芝でした。
 実は去年、SAYONARA国立競技場FINALのイベントに参加していました。東京のシンボルが一つ消えるにあたり最後を見届けようと思ったのです。初めて芝まで降りることを許されて皆が芝に寝転がった光景、人で溢れ返った国立のピッチを私は忘れられません。その時のチケットはFUTURE TICKETとして新国立競技場のスタジアムツアーに有効なのですが、一体どんなスタジアムになるのかといよいよ心配になってきました。皆様に国立競技場最終日の写真を公開して終わりたいと思います。

 2015年6月23日(火)、戦後70年の節目となる沖縄全戦没者追悼式が開催されました。翁長雄志沖縄県知事の発言は終始一貫しており訴えていることは明確です。先月(5月20日(水))、私は外国人記者クラブで行われた翁長知事の記者会見に出席しました。その様子は既にネット上に動画が公開されているので、ここでは会見の概要を紹介し、私が沖縄について思うことを記します。

2015年5月20日(水)翁長雄志沖縄県知事の記者会見
<翁長雄志沖縄県知事記者会見の概要>
 私は自由民主党出身なので日米同盟の重要性はよく理解している。ただそのことと辺野古への基地移設問題とでは話が異なる。もともと普天間基地については危険性の除去と沖縄の基地負担軽減という話から始まっている。普天間基地が返還されてもその代わりに辺野古ができるのであれば、仮に嘉手納以南が返還されたとしても沖縄の基地負担率は73.8%から73.1%にしか、たった0.7%しか減らない。ほとんど県内移設だからだ。普天間基地や嘉手納以南が本当に返還されるのかということにも疑念を持っている。なぜなら協定では年限を区切ってあるが、例えば「2028年、またはその後」という書き方なのでいつ返ってくるかわからない。「またはその後」というような表現はこれまでも繰り返されてきた。

 まだ民主党政権で森本敏さんが防衛大臣だった頃、沖縄にオスプレイは配備されるのかと聞いたことがある。防衛省としてはわからないとのことだった。けれどもそれより前、森本さんが学者だった2010年に出版した本には、2012年に12機、2013年に12機、沖縄にオスプレイが配備されるだろうと書いてあった。そしてその通りになった。その本によると辺野古はもともとオスプレイの為に建設される基地なので、最終的には辺野古に100機オスプレイが来ると書いてある。これでは到底受け入れられない。

 沖縄県民は自ら進んで米軍に土地を提供したことは一度もない。住民が収容されている時に土地を接収されたか、住んでいる土地を銃剣とブルドーザーで奪われたかのどちらかだ。1956年頃、ブライス勧告というのがあって米国が正式に土地を買おうとしたが、その時、沖縄県民は保守も革新も関係なく拒否して土地を売らなかった。だから今でも米軍基地のほとんどは民有地であり、今回のような反対運動ができている。

 辺野古に基地をつくるのは簡単ではない。このままではできないと思う。埋め立てには10tトラックが10万台走って1年間かかる。そんなことを住民が反対する中で強行したら世界に対してもイメージダウンになるだろう。自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れなくてアジアのリーダーになれるわけがない。自由、民主主義に基づいた日米同盟であってほしい。

(沖縄に基地が集中しているということは、戦時にはまず沖縄が標的になるということだが、なぜそのことがもっと議論にならないのかという記者の質問に答えて)
 沖縄では先の大戦で一般市民約10万人が亡くなった。それだけ日本国の為に前線で尽くしたのに終戦から2年後には日本から切り離されてしまった。私は沖縄の自由民主党なので当然ながら沖縄県民の安全、子や孫のことを考える。数年前、知日派のジョセフ・ナイ氏等が中国のミサイル性能が上がっているので海兵隊はグアム辺りまで下がれと主張していた。ミサイルが被弾すれば沖縄県民はもちろん、嘉手納辺りに落ちれば米兵だって犠牲になる。だから後ろに下がれという話は実際にあったのだが、前知事が辺野古基地の受け入れを表明した為にそれが免罪符になって、そういう議論がなくなってしまった。なぜ日本全体の安全保障であるのに沖縄が74%も負担しなければならないのか、そのことを訴えている。本土にも負担してほしいし、普天間の代わりを沖縄が考えろというのはおかしい。

 今や米軍基地は沖縄発展の最大の阻害要因になっている。終戦直後、沖縄の基地関連収入は沖縄のGDPの50%だったが、27年後、沖縄が返還された時は15%、そして今ではたった4.9%しかない。一部返還された土地の再利用が進み、商業施設ができて基地時代よりも遥かに多くの雇用と経済効果が生まれている。沖縄が基地収入で助かっているという話は過去のもの、せいぜい70年代くらいまでのことである。

(沖縄を20年ほど取材してきたが、ここ数年で雰囲気が変わり「オール沖縄」という動きになってきたと感じる。何がきっかけだったと思うかという質問に答えて)
 8年前に起きた教科書検定問題だと思う。沖縄戦での「集団自決」を日本軍が強制したとの記述を削除するよう文科省が検定意見を出したことに反発し、10万人の署名が集まった。日本国の為に戦って犠牲になったのに、それをなかったことにするのかという反発が起き、それが今の流れの原点になっている。

 以上が会見の概要です。本土の人間は、しばしば沖縄の米軍基地返還運動は本音ではない、基地収入で助かっている地権者もいるし、基地での雇用もあるので一部の人間が騒いでいるだけで沖縄県民の総意ではないと言います。(こういう意見は年配者が多いです。)また翁長知事が代替案を考えないのは無責任だとか、翁長知事は中国寄りだとかそういう意見も聞こえてきますが、こうした主張は本土の人間の身勝手、沖縄に対する差別と受け取られ、もはや沖縄には通用しないでしょう。

 会見の中にもありましたが、長年取材してきたジャーナリスト達が沖縄の雰囲気が明らかに変わったと言います。あるベテラン記者は、サンフランシスコ講和条約が締結された4月28日を「主権回復の日」として祝おうと政府主催の式典を開催した2013年辺りから変わってきた気がすると言っていました。沖縄にとっては日本から見捨てられた屈辱の日を安倍政権は祝うのか、という反発が保守・革新を乗り越えて沖縄を結束させたのではないかというのです。教科書問題がきっかけだったと翁長知事が言うならそこに伏線があったのでしょうし、沖縄の声を耳にしたからこそ鳩山政権が県外移設と言い出した…。結局実現しなかったけれどももう元には戻りません。鳩山さんが余計なことをしたと言うならそれも身勝手な話で、本土が当然のように沖縄に基地を押し付けて来た矛盾は遅かれ早かれ表面化したでしょう。このまま沖縄の声を無視し続けた場合、スコットランド独立運動のように琉球独立党のようなものが出てくるかもしれませんし、中国の覇権主義を前提に考えるならそれこそ中国の思うツボです。そうなったら手遅れです。日本の内政が不安定化することは米国も望まないことです。

 先日の鳩山元総理の会見(その他の活動報告参照)と翁長知事の会見を総合すると、海兵隊が米国の都合でグアムまで下がる案は確かにあったのだと思います。それを一部の官僚が潰した、鳩山政権下の官僚が裏切っていたということなのではないでしょうか。日米地位協定の改定も含めて日本政府が米国に切り出さないと、米国から提案するわけがありません。沖縄県の負担軽減を基地の移設問題と地位協定の見直しの両面で進めることが、長期的な視点で日米関係を良好に保つ方法だと思います。米軍基地がある他の敗戦国ドイツやイタリアの地位協定は既に改定されています。このまま放っておくと沖縄で反米感情や日本政府への反感が募る一方で誰の得にもなりません。安倍政権は全く聞く耳を持たず、憲法さえ無視して突き進む独裁政権ですから、これは一刻も早く変えなければなりません。政権交代が一番民主的な手続きですが、なぜ自民党内で止める勢力が出てこないのか不思議です。9月の総裁選挙に向けて誰も党内で声を上げないのであれば、自民党は独裁を止められない大政翼賛党でしかなく民主主義政党として終わっていると思います。

2月12日(木)
2015年2月12日(木)記者会見の様子
 外国人記者クラブにて行われたフリーカメラマン杉本祐一氏の記者会見に出席しました。報道陣は殺到していたのに日本のメディアでほとんど扱われなかった点が気になります。今月9日(月)にはメディアが自粛・委縮して政権批判を控えているという声明が2,500人の言論人の賛同を得て発表されています。これについての会見は昨日(2月25日(水))、やはり外国人記者クラブにて行われました。圧力がかからず自由に報道している団体は外国人記者クラブくらいなのかもしれません。翼賛体制再びというのでしょうか。今、日本で起きていることは異常です。言論人は気づいています。そして外国人にもそう映っており、そう報道されています。政府に迷惑をかけてはいけないという空気が醸成されつつありますが、政府を批判すべきは批判し、日本が海外からどう見られているのかという客観的な目を持たなければ、戦前と同じ間違いを犯すでしょう。

 さて杉本氏の会見についてです。杉本氏は新潟県在住のカメラマンで旧ユーゴスラビア、アフガニスタン、パレスチナ、イラク、シリアで20年間、写真を撮り続けてきました。この度、シリア北部のコバニ地域がイスラム国から解放され、クルド人部隊による海外記者を案内するプレスツアーも行われていると聞いて現地行きのチケットを手配しました。イスラム国の支配地域に入るつもりはなく、コバニ行きもトルコのシリア国境近くで情報収集して最終的な判断をする予定でした。

2015年2月12日(木)旅券返納命令書を示す杉本さん
 事の起こりは今月初めに地元新聞の取材を受けたこと。信頼していた媒体だったので応じたところ、詳しい日程まで紙面に掲載され、すぐに外務省から電話がかかってきました。15分から20分ほど「中止してほしい。」、「行きます。」とやり取りが続き、翌日、今度は新潟県警の中央警察署の警備課長から電話がかかってきました。喫茶店で会い、再び「やめてほしい。」、「行きます。」とやり取りがあり、最後には「家族の連絡先を教えてほしい。」、「無事に帰ってきてほしい。」と言われたそうです。

 その後、今月7日(土)夜7時頃に帰宅したところ、自宅前に4〜5人の男が乗った車があり、「杉本さんですか。」と駆け寄ってきて部屋にいれてほしいと言うので中に案内しました。男達は外務省領事局旅券課の外務次官と課長補佐、警察官2〜3名でした。ここでまた「行かないでくれ。」、「行く。」とのやり取りから「パスポートを返納しろ。」、「返納しない。」となります。そこで「返納しない場合は逮捕する。」と2〜3回言われたそうです。外務次官は岸田文雄外務大臣の名前入りのパスポート返納命令書を読み上げ、ここを読めと旅券法を差し示します。旅券法19条には返納を命令できる場合として「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」とあります。外務省の職員らは7時55分頃にパスポートを持って引き上げ、その後11時過ぎに岸田大臣がパスポートを返納させたと発表します。これが一連の流れです。報道関係者が外務省にパスポートを強制返納されたのは、戦後、日本国憲法が公布されて初めてのケースであり、これが前例となって他のジャーナリストも強制返納をさせられること、報道・取材の自由が奪われることを危惧して杉本さんは会見に踏み切ります。現在、法的手段に訴える準備をしているそうです。

 記者会見では記者から重要な論点がいくつか指摘されましたが、一番大きなポイントは、旅券法19条は憲法22条に保障される「居住、移転、職業選択の自由」に抵触するのではないかという点です。憲法はすべての法律の最上位にありますから、憲法に照らし合わせて政府(安倍政権)を訴えるということになれば、これは最高裁まで争う覚悟で挑む大きな裁判になるでしょう。それから旅券法19条には「旅券を返納させる必要があると認めるときは、旅券の名義人に対して、期限を付けて、旅券の返納を命ずることができる」とありますが、政府は現在のところ期限をつけていません。杉本さんは海外を取材するジャーナリストですから政府は無期限で彼の職業を奪ったことになります。これも憲法22条に抵触するでしょう。一般人が旅行に行くのを止めるのとは事情が異なります。

 記者会見では質問する記者に対して、自分の国ではこのようなことがあり得るかという逆質問が杉本さんからありました。フランス、イタリア、英国の記者が答え、自分の国ではあり得ないとのことでした。特にフランスの記者が指摘したポイントは印象的でした。フランス人にとってパスポートは「自由」であり「権利」なのです。日本人は政府からパスポートを与えられていると思っているのではないか、フランス人にとって移動の自由とは権利であり、その権利を国家が奪うなんてあり得ないと指摘しました。英国の記者も政府に迷惑をかけてはいけないという日本人の自制心を心配していました。政府に躊躇し物を言わないうちに国家が暴走して止められなくなったのが戦前ですから心配にもなるでしょう。今、外国人記者の目から日本はそう見えているのです。

 その他の論点としては、「パスポートを返納しなければ逮捕する」と迫ることが法的に正しいかということ、つまり警察権の乱用ではないかという疑問です。また法的な論点ではありませんが、政府の対応に無理があると私が思う点は、結局、日本在住のジャーナリストのパスポートを取り上げたところで日本の海外特派員等、国外にいるジャーナリストが現地に向かうことは止められないわけで、中途半端に国内ジャーナリストを脅しているようなものだと思うのです。戦地を取材するフリージャーナリストは危険を伴う仕事であり、だからこそ大手メディアは(責任を持てないから)行かせない、でも情報は欲しいからフリージャーナリストの取材に頼っているという現実があるわけで、それは報道の自由が保障された民主主義国家では普通のことです。安倍政権は危機管理体制に自信が持てないので見せしめとして目立つ形で1人のジャーナリストのパスポートを取り上げ、他のジャーナリストに圧力をかけているように私には見えます。「政府は命を救ってやったんだから感謝すべきだ。」という声があるようですが、登山家が遭難すると思って登山をしないのと一緒で、誰も自分が死ぬと思って取材には行きません。当然細心の注意は払います。世の中には危険が伴う仕事も、失敗したら捜索や救助など周りに迷惑がかかることも多々あります。後藤健二さんを助けられなかったのは残念ですが、本人が「責任は自分にある。」とわざわざビデオ映像に残して取材に向かったのですから、仲間のフリージャーナリストに影響が及ぶというのは後藤さんが一番望んでいなかったことではないでしょうか。日本のメディアが委縮して政府寄りの報道しかしないこと、フリージャーナリストが現地取材を控えて海外の情報が入らなくなることはダブルで恐ろしく、将来判断を誤る環境が作られてしまいます。外国人記者クラブは今回の安倍政府のパスポート強制返納について非難声明を出しています。

 衆議院が解散し、総選挙が行われています。なぜ今なのか、大義なき解散とも言われる今回の衆議院解散について○○解散と表現してくださいと街中でメディアがインタビューしたところ「自己都合解散」と答えた人がいて感心しました。その通りです。

 このまま続けていても安倍政権が上向く要素はありません。既にこの秋、内閣改造に失敗し、拉致問題も進展がなく期待外れ、沖縄知事選に敗北、そしてGDPの2期連続マイナス成長で日本が景気後退に入ったというニュースが世界を駆け巡りました。安倍総理が何と言い訳しようとアベノミクスは失敗しています。マスコミが政府寄りの報道を繰り返し、エコノミストも揃って政府寄りの見解を発表してきた為、みんな仲良く間違えてしまいました。エコノミストはいい加減だと今回思った方も多いのではないでしょうか。結局最初から「アベノミクスはアホノミクス」と言い切っていた同志社大学の浜矩子さんが正しかったと思います。かなり強い言葉なのでここまで言い切るのは度胸がいるなあと思いましたが流石です。

 来年にはTPP、原発再稼働、集団的自衛権の行使に向けた自衛隊法の改正…と安倍政権の本丸が目白押し。パソナ会長の竹中平蔵氏が執着する労働者派遣法の改正もあります。どれ一つとっても一般市民が喜ぶような政策ではありません。だから今解散なのです。アベノミクスで経済はよくなると国民を煽って選挙で勝ったら特定秘密保護法を成立させ憲法を自己都合で解釈変更したように、今回の選挙で自民党が勝てば「だって信任したでしょ。」と言わんばかりに益々暴走するでしょう。お友達内閣にお友達NHK会長、お友達法制局長官…とメディアから官僚まで周りをイエスマンで固めて暴走する安倍総理は戦後最も危険な総理だと私は思います。

 自民党はアベノミクスばかりを故意に強調し、安全保障には触れないようにしています。それが作戦です。けれどもこの度の選挙は戦後70年続いた国の形が変わりかねない非常に大事な選挙なので、自民党に大勝させないようによくよく注意していただきたいと思います。

6月27日(金)
 久々に政治家らしい信念と迫力のこもった話を聞きました。内閣改造を前に安倍政権に対して物が言えない自民党議員の中で、ただ1人公然と集団的自衛権の解釈変更に異論を唱える村上議員は自民党の良心だと思います。カメラはたくさんありましたが、海外メディアはともかくとして、日本のマスコミはなぜ村上議員が解釈変更に反対するのか、何が問題の本質なのか、会見の中身をまともに伝えないでしょう。日本のメディアの罪は、誰が造反するだとか表面的なことだけセンセーショナルに騒いで内容についてはほとんど書かないので、いつまでも問題の本質が国民に伝わらないことだと思います。その結果、世論調査で「よくわからない。」、「どちらとも言えない。」という回答が増え、国民が理解しないうちに政府がするすると大事なことを決めてしまうケースが常態化しています。

 私はこの欄で「安倍政権の大暴走」と題して憲法の解釈変更に対する反論を書きました。村上議員の説明は30年にわたる国政経験に裏打ちされたベテランらしい見識に溢れていて、私の説明より遥かに説得力があるので、ここでは村上議員の会見を忠実に再現したいと思います。以下の通りまとめてみました。



1.憲法の解釈変更はなぜいけないのか。
 日本の国の形である三権分立(司法・行政・立法)を覆す行為である。安倍総理は自分は行政の長だから憲法解釈は自分が責任を持って変えればよいと言っているが、これは間違い。憲法解釈の最終判断は司法(最高裁判所)が行い、行政は最高裁に違憲と言われないように内閣法制局のアドバイスを得ながら法律をつくるのが仕事。その際、内閣法制局には一貫した解釈が求められる。なぜなら政権はコロコロと変わるものなので、内閣が変わるごとに憲法解釈が変わり法律が変わるようでは法治国家でなくなってしまう。歴代の法制局長官は皆、安倍政権の手法に異議を唱えている。

 安倍政権は閣議決定で憲法解釈を変え、それに基づいて法律を作ろうとしているが、これは下位の法律によって上位の憲法を変える禁じ手であり、権力者が暴走しないように憲法によって権力を拘束するという立憲主義に反している。つまり安倍政権の手法は憲法違反である。

 似たような例として1930年代、ヒトラーが全権委任法を可決させ、ワイマール憲法が効力を失ったことが挙げられる。憲法が有名無実化した時、立憲主義は終わる。私は主権在民、基本的人権の尊重、平和主義の三原則はどんなことをしてでも守らなければならないと思っている。

2.集団的自衛権の行使になぜ反対するのか。
 集団的自衛権とは同盟国や関係の深い国が攻撃を受けた時は戦争をするという意味であり、限定的容認などというものはない。安倍政権は重箱の隅をつつくような、あり得ない事例を挙げて、それに対応できないから集団的自衛権を行使するのだと言っている。例えば子供を抱えた母親が第三国から逃げ遅れ、米軍の艦船に乗って帰国するという事例は、外務省が機能せず第三国で避難情報も出せず、母子が逃げ遅れてアメリカの船に乗るということだが、そんなことはまずあり得ない。

 集団的自衛権の行使は国の根本的なあり方を変える行為だから、もし本当に安倍総理が日本の為に集団的自衛権が必要だと考えるのなら、正面から国民に説明して覚悟を問い、憲法改正をしなければならない。日本が攻撃された場合に反撃する専守防衛が憲法9条で読めるギリギリのラインであり、日本が攻撃されていないのに武力行使をする、つまり他国と戦争を始めることは憲法9条ではどうやっても読めない。故に集団的自衛権は行使できない。

 集団的自衛権を行使する場合、国民に対して次のような覚悟を問わなければならない。まず徴兵制も視野に入れなければならなくなる。地元の自衛隊に事情を聞いたところ、今でさえ自衛隊員の確保に苦労しているとのことだった。集団的自衛権を行使すれば、日本を守る為ではなく外国を守る為に地球の裏側まで命を捨てる覚悟で出向くことになる。その覚悟が自衛隊員にあるだろうか。自衛隊員が集まらなければ、必然的に徴兵制の話につながっていく。

 集団的自衛権を行使するかどうかの判断はどうやって行うのか。日本版NSCは作ったが、日本にはCIAもMI6もない。あのパウエル長官でさえCIAに騙されてイラク戦争に踏み切った。だが大量破壊兵器はなかった。アメリカはイラク戦争で80兆円使って4,489人の兵士が亡くなった。イギリスは4兆3,000億円使って179人の兵士が亡くなった。そして何より15万人のイラク国民が亡くなった。この責任は誰がとるのか。日本には戦争する金もなければ判断する体制もない。

3.「アメリカに見捨てられる。」、「国際情勢が変化している。」から集団的自衛権を認めざるを得ないという声への反論
 アメリカに対する思いやり予算ははじめ60億円だったが2,000億円にまで膨らんだ。つまり日本はアメリカに基地を提供し費用を負担することで日米安保条約における義務を果たしている。これをもしアメリカが一から作り上げるとしたらどれだけ大変なことか。日本国内に米軍基地が点在していることは、つまり米軍の防衛ラインがどこであるかということを明確に示している。安倍総理の祖父である岸信介元総理は、日米安保条約は片務条約ではあるが、基地提供によって双務条約に等しいと言った。安倍総理はそのことを理解していない。

 また近隣諸国との緊張は日本が悪化させたものだ。2つの要素があった。1つ目は石原慎太郎元都知事が14億円を集め、本来は国が尖閣諸島を買うべきだと迫ったこと。野田佳彦元総理は着地点も展望もないまま尖閣諸島を買ってしまった。2つ目はバイデン米副大統領に中国とうまくやってくれ、事を荒立てないでくれと頼まれていたにも関わらず安倍総理が靖国参拝を行ったこと。安倍外交は中国、韓国、北朝鮮、台湾、そのどちらを向いてもうまくいっていない。

 私は安全保障(Security)と防衛(Defense)は違うと思っている。安全保障とは日本の敵を(外交努力によって)減らすこと、防衛とは武装して国を守ることである。ヨーロッパでは現在、ロシアより西では戦争は起きないとの予測からNATO全体で2,600億円の防衛予算しか持っていない。対して日本は一国で600億円を持っている。

 日本は憲法9条の平和主義の下で経済発展を優先させた。軍備に金を使わずに済んだ。財政の専門家としてもはっきり言える。日本に集団的自衛権を行使し戦争をする金はない。

 日本は外交によって仮想敵国を減らす努力をすべきであり、特にはじめから敵であると決めつけることはよくない。武士道の究極の目的は平和であるという教えを私は信じているし、その精神を日本が発信すべく外交努力を重ねるべきである。



 以上の通りであり、ものすごく説得力がありました。私が村上議員の話で再確認できたことは、やはりヒトラーと同じだという感じ方をしているのだなということ。そして去年麻生太郎副総理が「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。あの手口学んだらどうかね。」と発言したことを思い出しました。安倍総理は本当にヒトラーから学んでしまったのではないでしょうか。安倍総理と麻生副総理は確信犯ではないか、よく理解した上で戦後積み上げてきた民主主義、憲法に制約された統治体制を壊そうとしているのではないかと思います。それが第一次安倍政権の時から公言している究極の目的「戦後レジームからの脱却」なのでしょう。アベノミクスは順序からすれば二の次、経済の話は国民受けがいいから選挙の時に前面に出しただけなのです。

 もう一つ、徴兵制を覚悟しなければならないという指摘は、「集団的自衛権を積極的に行使するようになれば、必然的に徴兵制にいかざるを得ないと思う。」という民主党枝野幸男議員の指摘と重なります。これもその通りだと納得できました。

 とにかくこれだけ国の形を大きく変えるような話なのですから、到底憲法解釈の変更で変えられるような問題ではないのです。私のような考え方を共産党みたいだと非難する人もいるでしょうが、私は共産主義者でも社会主義者でもありません。戦後、自民党が作り上げて来た民主主義は村上誠一郎議員が示している路線です。私から見れば村上氏が保守本流、安倍総理は保守傍流です。安倍総理は保守というより石原慎太郎衆議院議員が掲げる新保守と同じだと思います。

 集団的自衛権の行使には憲法改正が必要であり、私達はその覚悟があるのか自問しなければなりません。これは国民が決めることです。自分自身は絶対に戦場に行かない長老議員や学者たちが安全なところから「集団的自衛権を行使すべきだ。」と決めることではありません。これからまだ生きていく世代が、日本以外の国を守る為に自分や家族の命を捧げる覚悟があるか、そのために税金を負担する覚悟があるかということです。

 それにしても平和を捨てた公明党はどこにいくのでしょうか。「修正で一定の歯止めがかかった。」などと言うのは自分達にしか通用しない慰めです。まるで政権にしがみついて壊れていった国民新党を見ているようです。