2011年3月28日(月)各党・政府震災対策合同会議実務者会合
 3月11日(金)の東日本大震災発生から3週間が過ぎ、暦も4月に変わりました。震災が起きてからの日々についてご報告致します。

 私は震災の時、参議院議員会館12階のオフィスにいました。揺れが収まってから本館(国会議事堂)の国民新党控室に向かい、この日から17日(木)までの1週間は連日、控室に詰めて情報収集に当たりました。政府の情報は国会内の民主党国会対策室を通して不定期に入ってきましたが、福島原発事故に関する情報が連日錯綜していました。特に翌12日(土)に発生した1号機建屋の水素爆発に至っては、震災後初の与野党党首会談の最中(午後3時36分)に起きたのにも関わらず、同席していた幹事長は控室に戻るまでその事実を知りませんでした。爆発前の原子力安全・保安院の会見では「圧が下がった。優位に展開している。」という報告だったので、控室でテレビの映像を見ながら絶句しました。どう見ても深刻なのは明らかです。そしてこの事実を枝野官房長官が会見で伝えたのが午後5時50分、原子力安全・保安院が会見で伝えたのは午後6時を過ぎてからです。せっかく国会に詰めていても全然情報が下りてこないので、翌日に出演したNHK「日曜討論」(国民新党ホームページ メディア出演結果(レポート)参照)では私の体験をそのまま伝えました。この日も番組が終わってから国会に向かいました。今度は3号機建屋が1号機と同じ状態に陥り、翌日には水素爆発…不安は増すばかりでした。

 連日、政府は原発対応に手一杯になり、その情報の混乱ぶりと被災者対応の遅れに与野党とも業を煮やしました。震災発生から4日後の3月16日(水)、ようやく第1回各党・政府震災対策合同会議が開催されました。震災については与野党協力して取り組むこと、その為には野党議員も官邸の会議メンバーに加えることを、我が党の亀井静香代表は菅総理に提言しましたが、結局民主党は野党を官邸には入れずに政府との合同会議という形を選んだのです。各党も合同会議という窓口で一元化して要望することで、現場が混乱しないように配慮し、その代わり政府に質問・要望したことに対して必ず回答を出すように強く求めました。2回目の合同会議は18日(金)に開催され、この会議を親会として実務者会合を毎日開催することになりました。親会は下地幹事長と2人、実務者会合は私が担当になり、代理がいないので最近は東京に張り付いています。

 この実務者会合は原発以外については、ある程度の成果を挙げたと思います。原発については原子力安全・保安院の寺坂院長が毎回説明するのですが、とにかく答えない、情報を隠していると言わざるを得ません。

 以下はこの会合で各党が要望して実現した事例です。政府が対応した背景には、各党に迫られて実現したことが多々あるのです。

<福島原発についての要望>
・首の長い生コン圧送機(通称キリン)が存在するので放水に使うべき。(→現場に投入)
・SPEEDIのデータの公表。(→公表)
・20km〜30km圏内の住民を避難させること。自力で避難できない弱者は迎えに行くこと。(→避難所までバスを手配)
・農作物について、県単位ではなく地域単位で扱うこと。(→一部出荷制限が解除)

<被災者支援についての要望>
・原発対応と被災者支援は二元化し、被災者対応を急ぐべき。(→被災者生活支援特別対策本部を設置)
・瓦礫撤去についての政府指針を早急に作成して現場に伝える。また政府が費用を負担するというメッセージも同時に伝える。(→環境省が指針を通達。松本龍防災担当大臣が費用負担を明言)
・閉館予定のグランドプリンスホテル赤坂や、新築の公務員宿舎東雲タワーは避難所として使える。(→被災者入所開始)
・雇用調整金を計画停電による休業等にも使えるようにすべき。(→政府が明言)
・客船をチャーターして避難所に使うべき。(→数隻で対応)

 ガソリンが足りない、温かい食べ物の提供、風呂の用意等々、被災地状況については各党が連日改善を求め、それは現在も続いています。

 今後はボランティアの体制や計画停電について更に議論する予定です。