ゴールデンウィーク中、ドイツ政府の招聘事業でベルリンを訪問しました。訪問団は民主党2人、自民党3人、社民党2人、そして国民新党の私という超党派の8人構成です。視察のテーマは「安全保障」と決められており、訪問先も安全保障関係の研究所や軍の施設などがしっかり組み込まれています。政権交代後、日本の安全保障政策はどう変わるのか変わらないのか、ドイツ政府も気にかけているのだということを今回の視察を通じて実感しました。

 日本では普天間基地移設問題についての報道が過熱する一方でした。滞在先のホテルでNHK国際放送のニュースをチェックすると、沖縄を訪問している鳩山総理や徳之島の住民などが映し出されます。今年のゴールデンウィークは私にとって安保一色でした。

 訪問先について、日本側の希望もできるだけ加えていただけるとのことで、再生可能エネルギー分野の視察も行いました。ドイツは環境問題や地球温暖化対策にもっとも積極的で、再生可能エネルギー分野では最先端を走っている国です。行きの東京からフランクフルトまでの便に小沢鋭仁環境大臣が搭乗しており、どうやら旧西ドイツの首都ボンにある、国連気候変動枠組み条約事務局に向かったようです。私達は大臣と別れ、乗り継ぎ便でベルリンに向かいました。以下は日程の詳細です。

5月2日(日)
 16:45 ベルリン・テーゲル国際空港到着
 ドイツ政府から外務省議会内閣課事務官、日本大使館から公使と一等書記官に出迎えていただきました。現地で最初に出会った一等書記官がなんと島根県大田市の出身!地元の若い世代が世界に出て活躍している姿を見ると、普段、島根に若者がUターンしてくれないかなと思っていても、やはりエールを送ってしまいます。

2010年5月2日(日)ブランデンブルグ門(東西ドイツを隔てていたベルリンの壁の象徴)
 この日はホテルにチェックインして少し休憩し、その後、ブランデンブルグ門まで散歩しました。ベルリンは個人旅行で来たことがあるので、ある程度、街はわかるのです。私は旅先での街歩きが大好きです。今回の視察で一緒だった私と同世代の米長晴信議員(民主党)は、前職のフジテレビ時代、初代ベルリン支局長として5年もこの地に住んだ人です。当然、到着した瞬間から「水を得た魚」状態…。チェックイン早々、他の議員を案内して出かけて行きました。マイペースの私は翌日からの団体行動に備え、1人でブラブラと周辺を散策しました。

5月3日(月)
2010年5月3日(月)連合国博物館(旧映画館)の入口
 「再生可能エネルギー」関連の市内施設をバスから見学。プロジェクトの説明を受けながら、エネルギー効率の高い建築物や着工しているプロジェクトを外から眺めました。そして連合国博物館に到着。

 この博物館はもともと駐留米軍の映画館だった建物で、そう言われると確かに入口などは映画館そのものです。ここには1945から1949年にかけての西側連合国(米・英・仏)の活動や役割について展示されています。ポツダム宣言によって日本もドイツも敗戦し、日本が米軍に占領されたように、ベルリンにも占領軍が入ってきます。その時のベルリン市民の不安そうな様子を写した大きなパネルが入口に飾られており、この博物館は「いかにして占領者が友人に変わっていったか。」というテーマで展示物を陳列しています。日本での米軍基地問題を考えると、同じように占領されながら、駐留米軍に対する国民感情がドイツと日本では全く違うことを考えさせられてしまいます。

2010年5月3日(月)大空輸作戦に使われた軍用機
 おそらく「ベルリン封鎖」が米軍に対する国民感情が変化する契機だったのでしょう。ベルリンは米・英・仏・露の4ヶ国によって戦後4分割され、しばらくはそれぞれの分割占領区域を自由に行き来できました。ところが1948年、ルーブル通貨使用地域を囲い込もうとロシアはベルリンへの陸路をすべて封鎖します。空路は閉鎖されなかった為、米軍は大空輸作戦を展開し、兵糧攻めに遭った西ベルリン市民を助けます。(その時、急いで造られたのが私達が着陸したベルリン・テンペルホーフ国際空港の滑走路です。)館内には当時空輸された米国産物資のサンプルや飛行機を歓迎する人々の写真があり、また館外にはこの作戦に使われた軍用機が展示されています。物資の3分の2が石炭、3分の1が食料だったそうです。

 その他、説明で印象的だったことは、戦後のドイツが以下の4つのDから始まったことです。
Denazification(非ナチ化)
Decentralization(非中央集権化)
Demilitarization(非軍事化)
Democratization(民主化)

 連合国博物館で、戦後ドイツ史の基本情報を学習しました。興味深いこととしては、東西冷戦が終わり、軍事的にはもう駐留米軍の必要性はなくなっているのですが、ドイツ国民が駐留を望んでいること、また日本の思いやり予算にあたる駐留費用をドイツは支払っていないことです。ちなみに駐留米軍の規模は6万人です。またドイツはロシアという巨大な隣国を抱え、日本は中国という巨大な隣国を抱えているという点も安全保障上の共通点としてドイツ側から指摘されました。

 博物館見学後はベルリン日独センター事務総長主催の昼食会に出席。ベルリン日独センターは1985年1月15日、コール首相と中曽根康弘総理の提案に基づいて設立された施設で、経済や学術・文化関連の日独協力、国際協力の推進を目的としています。センターの入口の桜が満開で綺麗でした。

 昼食後は政府の庁舎に移動して、外交安全保障担当首相補佐官と懇談しました。

 この日の夕食は自由行動だったので今が旬のシュパーゲル(白アスパラ)を食べに出かけました。シュパーゲルがメインでウィンナーシュニッチェル(肉)が付け合わせ、というのにはビックリ!普通は逆です…。確かに白アスパラがゲルマンサイズで太かった!!

5月4日(火)
2010年5月4日(火)ポツダム気候変動影響研究所2010年5月4日(火)ポツダム会議が開催された建物
 ベルリンを離れてポツダム気候変動影響研究所を訪問。この研究所は連邦予算を受け取り、地球規模の気候変動、持続可能な開発に関する研究を行っています。森林に囲まれた別荘地のような環境に佇む施設で、天文台もあります。主任研究員や立命館大学の客員教授を務めていた研究者からレクチャーを受けました。

 終了後はポツダム会議が行われた場所へ直行。せっかくポツダムにいるなら、やはり政治家として見ておきたい場所です。

 その後、ベルリン市内に戻り、ドイツ学術政策財団国際安全保障研究所(SWP)にて昼食を摂りながらの懇談会。SWPは政府系の研究機関(シンクタンク)で、ドイツ連邦議会や連邦政府に対し、外交・安全保障政策に関するあらゆる問題について助言を行っています。運営経費は連邦予算、及び国内外の研究助成機関の資金から拠出されています。SWPは東西冷戦があった為に作られたという首相府直轄の組織です。司会を務めた研究者の日本語が驚くほど流暢で、聞けば日本で独日同時通訳をされていたとのこと。納得です…。

 SWPは政治的に中立ですが、今度は政党系財団との意見交換会に向かいました。政党系財団にはフリードリヒ・エーベルト財団(FES)、コンラート・アデナウアー財団(KAS)、フリードリヒ・ナウマン財団(FNS)、ハインリヒ・ベル財団(HBS)、ローザ・ルクセンブルグ財団(RLS)の6財団があります。私達はFES本部を訪問し、FES、KAS、FNS、HBSの代表者の方々と懇談しました。

 日本にはない政党系財団について私達は興味深深だったので、色々質問しました。5%以上の得票率があり、2回以上連邦議会に代表を送ると政党は財団を設立することができ、議席数に応じて連邦予算から助成されます。規模は政党により差がありますが、最も古いFESは職員が700人規模で、約100ヶ国に事務所があるのです。それなのに選挙の時は前面に出ないで政党と距離をおく独立した組織だというのです。「日本では税金の使われ方について国民が興味を持つようになり、説明が求められますが、皆さんの財団に税金を使う理由をどう説明されますか。」と思わず私は聞いてしまい、後から皆に「仕分け人!」と言われました。ようやく理解できたことは、ヒトラーを生みだした反省から戦後のドイツは上記の4つのDから始まっているので、国がお金をかけてでも社会に多様な意見を形成しておくことが大事だという価値観があるのです。なるほど。勉強になりました。

 この後は外務事務次官と懇談し、ドイツ議員協会会館でドイツ連邦議会外務委員長及び委員の方々との夕食会に出席しました。政党系財団との懇談では私達が相手を質問攻めにしましたが、今度は逆…。日本が政権交代をして外交・安保はどうなるのだと相手が待ち構えていたような感じでした。

5月5日(水)
 連邦軍派遣部隊指揮司令部を訪問し、副司令官(少将)からドイツの国際貢献活動について説明を受けました。連邦軍派遣部隊指揮司令部は2001年に創設され、国内外に派遣されるすべての活動の計画と指揮を統括しています。現在、約3万人のドイツ軍兵士を海外に派遣しているそうです。アフガニスタンにも活動を展開しており、ドイツ国内では継続すべきでないという世論が強くなってきているという状況です。昼食会まで滞在し、意見交換を続けました。

2010年5月5日(水)サンスーシ宮殿
 この司令部はユネスコ世界文化遺産に登録されたサンスーシ宮殿のすぐ近くにあります。残念ながらサンスーシ宮殿を見学する時間はなく、宮殿前で写真だけ撮って移動しました。

 次に向かったのはベルリン市内のドイツ議員協会会館。ここでドイツ連邦議会軍事オンブズマンと懇談しました。これは社民党の要望を実現したもので、自衛隊員の精神的疾患問題に取り組む阿部知子議員が熱心に質問していました。

 この日の晩は、独日議員連盟会長及び議連メンバー主催の夕食会が市内レストランでありました。

5月6日(木)
2010年5月6日(木)ドイツ連邦議会にて(オレンジジャケットが私)2010年5月6日(木)ドイツ連邦議会屋上のレストラン
 ドイツ連邦議会を訪問し、国防委員会委員長や委員の方々と懇談しました。ただこの日はギリシャ危機への対応を巡ってドイツ議会で大論争していたので、議員も出たり入ったり忙しいのです。私達も国会が忙しい時に海外の議員団に対応することがあるので、状況はよく理解できます。後で聞いたら、結局この日は結論が出なかったそうです。

 連邦議会議事堂は屋上がガラスのドームになっていてベルリンの人気観光スポットです。屋上には日本のデパ地下でも目にするケイファー(ソーセージが有名)がレストランを出店していて、ここで昼食を摂りました。

2010年5月6日(木)ドイツ連邦議会の様子
 その後、議事堂の見学ツアーに出かけ、連邦議会の様子もしばらく見ていました。

 午後はドイツ・エネルギー機関本部を訪問しました。ここは日本の独立行政法人、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)に相当します。ドイツは再生可能エネルギーの利用促進による二酸化炭素25%削減を目標にしており、今後の取り組みについて説明を受けました。

 ドイツ滞在最終日の夜は日本大使公邸で大使主催の夕食会に出席しました。日本の国力や存在感が国際社会で見る見る衰え、中国の影響力が欧州でも強まっていることを、職業外交官の肌感覚としてのお話からよく理解できました。

 今回のドイツ訪問はとても勉強になり、日本の外務省や衆参両院が予算を使って外国の議員団を招聘する理由が、逆の立場になってみてよくわかりました。また私達が感心したことは、外交問題についての回答がドイツ側は統一されていること、政府でも研究機関でも対外的には共通の見解を示すのです。私達は超党派の議員団でしたが、やはり日本政府の代表として意見の食い違いは見せられないという「国益」意識は自然と芽生えるもので、一緒に行動していると日本人特有の連帯感みたいなものが生まれてくるのです。また一箇所に5連泊という日程は、ドイツ政府主導だからできたことで、駆け足で巡るよりも色々なことが見えてきます。

 今回の訪問でドイツとご縁ができたので、今後、独日間の国際交流にも力を入れたいと思います。